PL法

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(30)

「PL法」
神様は、今日もスポーツジムに行ってきました。最近、どうも体の調子が悪いからです。それに、ストレスも溜まっています。
なぜそうなったか大体わかっているんだ。テーブルの上に山積みされている手紙をちらっと見ながら、そう思いました。神様は、自分あての手紙を全部読むのが日課なのです。
毎日来るのは、その10倍はあるでしょうが、秘書が、10人がかりで目を通し、神様に渡すかどうか選別しています。
同じ人間が毎日のように送ってくる手紙や、どう考えても本人が悪いと思われる内容の手紙は除けることにしています。
読まなければならない手紙も、最近は不満たらたらの内容が多くなったのも、ストレスの原因のようです。
つまり、「神様は、どうして私だけにこんな辛い目にあわせるのですか」とか「生まれてこなければよかったのに、なぜ神様は私を生まれさせたのですか」とか書いてあります。
昔は、「こんなに苦しいのは、神様が私に試練を与えてくださったと思って生きています」などという手紙がありました。
自分の失敗を棚に上げてと思うこともありますが、立場上、そんなことは言えません。
とにかく、どこかで歯止めをかける必要があります。人間は、自分を頼っているのだし、作ったものとしての責任もあるだろうから・・・。
そうかと言って、生きなおしさせてくださいという願いに、わかったと応えるのもちと辛いものがあります。できないことはないですが、何分時間がかかるからです。
そうだ!以前、PL法という法律ができたことがある。それを調べてみよう。神様は、早速、ウィキペディアのPL法を開けました。
「そうか、製造物責任法というのか。『製造物責任法は、生命、身体または財産に損害を被った場合に、製造者に損害賠償を求めることができるための法律』か」
神様は熟読しました。それから、ゆっくり考えました。待てよ。確かに人間はわしが作ったから、わしが製造者になるわけだ。製造物は人間だ。そして、損害を被るのも、その人間なる。
訳がわからなくなったぞ。しかし、わしに対するクレームが多いのは厳然たる事実だ。
よしんば責任があるとしても、限度があるはずだ。わしにも、自分を守る権利がある。
しかし、生きなおしをさせるのは、限度を越えている。それなら、こうしょう。あの一言(ひとこと)を言わなかったら、あるいは、あの一言を言っていたら、自分の人生は変わっていただろうというのからはじめよう。それでも、全員は無理だ。多すぎる。まず3人を選ぼう。
神様は、そう決断をすると、目をつぶりました。そして、「神様の言うとおり!」と叫びました。しばらくして、フゥと息をしました。
今にも倒れそうになりました。それはそうでしょう、一言を悔やんでいる何兆という人間から3人を選ぶのですから。
とにかく、3人を選ぶことができました。
1人は、紀元前128年前のローマ人の女だ。「将軍に仕えなさい」と一言言ったことを後悔しながら死んだのか。この時代は、カエサルとかシーザーとか呼ばれる軍人の時代だな。
もう1人は、1827年生まれのイギリス人の男。「ぼくが行く」となぜ言えなかったかと死ぬまで苦しんだようだ。
最後は、1974年生まれの日本人の男か。「結婚してほしい」と言えばよかったと後悔しながら生きているらしいな。それじゃ、1人ずつはじめるとするか。

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