オリンピック

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「オリンピック」
暑くて、ズボンを引きちがって、半ズボンにしてやったぜぃ。(さあ、ご一緒に)。ワイルドだろ~。
横浜にいる長女夫婦が、出産で帰ってくるので、前祝いに京都の床で飲むことにしているけど、娘が、「お父さん、若いカッコしてるやん」とゆうはずやから、すかさず、こう答えることにしている。
せやけど、滑舌(かつぜつ)が悪いので、噛まへんか心配や(「ハードボイルドだど」のほうがゆいやすい、知らんやろけど)。
とにかく、来年の夏が冷夏やったら半ズボンは恥ずかしいわけやけど、後先(あとさき)のことを考えずに失敗をすることは、誰でもある。
また、わかっているのに、何回も失敗してしまうことがあるやろ。ぼくは、根が卑しいのか、スティックコーヒーの湯を入れすぎるのや。薄くて飲まれへん(もう1個入れて、湯を足すとゆう勇気もない)。
最近、「失敗しました」と泣きくずれる光景をよう見るやろ。オリンピックや。
柔道女子の杉本は、銀メダルで悔しがっていた。アナウンサーが、「お父さんは、『金色はくすんでいる。銀のほうが輝いているで』とおっしゃっていましたよ」と慰めても、「関西人ですから」とゆうばかりや。
ぼくやったら、「タイガースを見てみ。毎年負けても、がんばっているやないか(それはどうかわからんけど)」とゆうてやるけどな。
アメリカの大統領候補が、「日本みたいになりたいのか」と、選挙民を脅しているときに、「judo」でメダルを取って喜ぶ若者が世界にいることに満足しようやないか。
そして、オリンピックに出られんでも、失敗は、誰でもあるでと、やさしく迎えようやないか。
そうや。テレビに出ているもんでも、失敗するもんはいくらでもいる。生活保護を不正受給していた漫才師とか、二股や三股やと騒がれたタレントとか、事務所の内紛で評判を落とした演歌歌手とか、「あのときなあ」と嘆いているやろ(釈明では、大体「母親1人に育ててもらったので」とかゆうのも共通している)。
逆に成功をしたもんもぎょうさんいるわけやけど、腹の中では、「ラッキーやった」と思うているのやないか。
ぼくが考えるところでは、成功でも、失敗でも、それは、本人そのままやないときの結果やないか。
オリンピックのインタビューで、「実力が出せませんでした」と悔しがるやろ。それや。
逆に勝ったときは、「みんなの声援で・・・」などとゆうやろ。
つまり、極端にゆえば、成功も失敗も、自分とちがうのや。
それなら、どうするんやとゆうことやけど、結婚式の祝辞を聞いたことないか。
「人生では三つの袋が大事です。お袋、胃袋、堪忍袋です」とゆうのは?
お袋はともかく、60半ばになって、飲みすぎで胃潰瘍やし、いつも癇癪を起こして、みんなから敬遠されてきた人生や。合うているがな。
また、「人生には三つの坂があります。上り坂、下り坂、おして、『まさか』です」ゆうのもある。ぼくも、「まさか社員に裏切られるとはな」とゆう人生や。
結婚式をあげときや。こんなええ話が聞けるんやで(1回だけでええけどな)。
とにかく、成功や失敗や一喜一憂するんではなくて、人生には、三つの袋、三つの坂があることを忘れないことや。
そうすれば、成功もするけど、失敗もする(あかんがな)。
とにかく、成功したときは浮かれず、失敗したときは落ちこまずとゆう気持ちをもつことや。どちらも自分やないのやから。せやけど、暑さで自分を忘れんようにな。

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