もう一つの国
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(267)
「もう一つの国」(5)
駅に向かう途中、何度も後ろを振り返りましたが、誰かが後をつけているようなことはありませでした。
しかし、あのビルに元々監視カメラがついていて、自分の正体がわかっていることはないのだろうかと心配になってきました。ただ、ビルから出てきた20代と40代の男二人の様子は、あたりを経過しているようには見えませんでした。
それで安心して帰ることにしました。マンションに帰ると戸締りをしてから、階下に誰もいないことを確認してカーテンを閉めました。
「よし。これでいいわ。さて、どんなトリックが隠されているか」娘は声に出して言いました。
それから、監視カメラを再生しました。ビルの中は暗くなっていますが、高感度の機能がついていますので、よく見えるはずです。
10分ほどすると、少し光が映りました。おじいさんがドアを開けたようです。
20秒ほどすると人影が見えました。杖をついています。おじいさんです。
娘の動悸が激しくなりました。しばらくすると、おじいさんは姿見の前で止まり、姿見のほうに体を向けました。それから、一瞬動かなくなったと思った途端、おじいさんは消えたのです。
「ええっ、どういうこと!」娘はまた声を上げました。これではビルの外から見ていたのと同じ現象です。
また再生しましたが、同じことです。姿見に体を向けたところでストップして、コマ送りで何回も見ました。しかし、ぱっと消えるのです。
ただ、消えた後に少し画面がぼけるような気がしますが、奥の光が移りこんでいるだけかもしれません。
同じ作業を何十回も繰り返しましたが、「そうだったのか!」という答が出そうにありません。
今日すべてが終わると思っていたのですっかり気が抜けてしましました。
「まあ、マジックの種明かしを調べたら何かわかるかもしれないけど、『おじいさんワープ事件』はこれで終わり」と言いました。それから、夕食を作り、テレビを見て過ごしました。
なるべく、監視カメラのことを思いださないために、いつも以上にワインを飲んで寝ることにしました。
以前のようにゾンビのようなものに追われる夢は見ませんでしたが、熟睡したような気にはなりませんでした。無意識に何か考えていたかもしれません。
それで、10時ごろでゆっくりしてからベッドを出ました。
もう監視カメラは見ようとしませんでした。これまでも、「これで終わり」と宣言しては、また同じことをしたことを反省して、「ほんとの終わりにしよう」と決めたのです。
食事の後、あちこち電話しました。それから、予定をまとめて外出しました。
2件用事をすませてから、遅い昼食を外ですましましたが、徐々に意識が遠のくような気分になりました。「どうしたの。あのことを考えすぎたのかもしれないわ。でも、あのことは終わった。もう大丈夫」と自分に言い聞かせました。
すると、体がすっと軽くなりました。
支払いをすませて外に出ると、体が勝手に動くのです。止まろうとしても止まれません。まるで下り坂で誰かに背中を押されているようなのです。
気がつくと、あのビルの前です。「もうここには来ないと決めたのに」と思っていると、背後から、「わしに用かな」という声が聞こえました。振り向くとおじいさんでした。
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(268)
「もう一つの国」(6)
娘は、慌てて「いいえ。いつも暗いのでどうなっているのか見ただけです。すみません」と謝りました。
「謝ってもらわなくてもいいよ。最近よくきみがこのあたりにいて、わしをちらっ見るような気がして聞いただけだよ。まさかこのビルに用事があったとは思わなかった。うぬぼれたわしが悪かった。ついでに言うと、このビルはわしのものではない」
「そうでしたか。わたしも勘違いしていました。でも、毎日、このビルに入られていますね」
「そらっ、来なさった!ほんとはわしに興味があったんだろ」おじいさんはいたずらっぽい笑顔で娘を見ました。
娘は顔を赤くして、「気になっていました」と白状しました。
「わしにどこに興味があったのかね」おじいさんは勝ち誇ったように言いました。
娘は少し躊躇しましたが、「消えるところ」と小さな声で答えました。
おじいさんはうなずき、「そうだろうな」と言いました。「監視カメラまで使ったのだから」
「えっ、ご存じでしたか」娘はさらに赤くなりました。
「わかった。何か違和感を感じたのでな。場所もわかった。そして、犯人もすぐにわかった」
「すみません」娘は逃げ出したいような気持になりました。
「カメラで何か分かったかな」おじいさんは穏やかに聞きました。
娘はほっとして、「いいえ。何回も見たのですが」と正直に言いました。
「どうして消えることに興味があったんだ?」
「どうしてと言われても、人間が消えるなんてことは、SFの世界でしか起こりませんか。どんなトリックか知りたくて仕方ありませんでした」
「そうだな。確かにそうだ。でも、慣れてくると、そんなことを不思議だと思わなくなってしまった」
「ほんとに消えているのですか?マジックでしょ?」娘は思わず聞き返しました。
「いずれこんな日が来るかもしれないと思っていたよ」
「はい」どのように答えたらわからず、あいまいに返事をしました。
「とにかくわしのマジックを見たいのだな」
「そうなんですけど」
「じゃ、来たらいいよ」
「かまいませんか」
「ああ、いいよ」
おじいさんから種明かしをしてもらえるなんて夢のようです。「これでこの2か月気になっていたことがわかる。おじいさんはきっと有名なマジシャンに違いない」などと思いながら、おじいさんのあとについてビルの中に入りました。
おじいさんは、いつと同じように杖をつきながら、ゆっくり進みました。
5,6メートル歩くと、そこで止まって姿見のほうに体を向けました。
その後ろにいた娘は、息を凝らしておじいさんを見ました。それから、両側の壁で何か動くものがないかと目を向けたとき、おじいさんは消えていました。
「えっ、どうしたの!」娘は叫びました。「こんな近くにいるのにまったくわからない」
それから、「おじいさん、おじいさん」と呼びました。どこからあらわれるかも見ておかなくっちゃと目を皿にしていると、「ここですよ」という声が聞こえてきました。
すると、鏡から手が出てきたと思うと、すぐに足と体があらわれました。
「おじいさん!」娘はそのまま気を失いました。
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(269)
「もう一つの国」(7)
おじいさんは、その声に驚いて急いで鏡から出てきました。倒れている娘を起こして、とりあえず上半身を壁にもたせかけました。
それから、ビルの外にある自動販売機から水を買ってきて、「おじょうさん、おじょうさん」と声をかけました。
娘は、ようやく気がつきました。そして、「ああ。おじいさん」と小さな声で言いました。
「びっくりしたかな」おじいさんは水を渡しながら言いました。
「はい。びっくりしました。鏡はゴムでできているんですか」と聞きました。
「普通の鏡だと思うよ。自分で確かめたらいい」
「はい」と答えたものの、まだ立ちがれません。水を飲みながら、どんな仕掛けだろうと考えていました。でも、こんなおじいさんにマジックができるのだろうか。そして、一番疑問なのは誰もいないのにマジックなどするだろうか。練習だとしても、毎日毎日・・・。そして、ここは自分のビルではないということだし。推理が止まりません。
おじいさんは、娘が何か考えているなと感じて、「あなたが研究熱心だということがわかったのでお見せしただけですよ。あとは自分で判断なさい」と笑顔で言いました。
「今のはマジックですよね」娘は聞きました。
「取り方によるな。他人(ひと)ができないとあきらめるのならマジックだろう」
娘は、「はあ」とあいまいに答えました。それから、思い切って立ち上がると、鏡の前に行きました。触ったり叩いたりしましたが、どこも変わったとこがありません。
「それじゃわしは帰るよ」
「おじいさん、待ってください」
「何かな」
「教えていただけませんか」
「何を」
「鏡に入る方法です」
「このマジックをか」娘はまた黙ってうなずきましたが、これは自分が考えているマジックではなく、ほんとに鏡に入ったかもしれないと思うようになりました。
「それはかまわないが、今までのような生活ができなくなるかもしれないぞ」
娘はすぐに「はい」と答えました。
「それなら教えます。鏡の中に入るためには、どの鏡でもいいというものではない。それは自分で探すしかない。しかし、そんなに遠くまで行くことはないように思う」
「自分に合った鏡かどうかはどうしてわかるのですか」
「鏡の前に立って、映る自分を見ていると、心がとけるような感覚になる。すると、すっと鏡の中に入ることができる」
娘の顔を見てから、さらに続けました。「鏡に出会えるのは何年もかかる。ひょっとして見つからないかも知れない。幸いわしの場合は空きビルの中にあった。たいていの人はそんなことはできるわけがないと考えているので、自分の鏡の前に立っても入ることはできない」
「わかりました。鏡の中には何があるのですか」
「何もない。ただ自分がいるだけだ」
「何もないのですか!」
「何もない。何もないが、今あなたがいるこの場所を映しているから、左右が逆転した同じものではある」
「おじいさんは、毎日鏡の中に入っていますよね」
「どうして、何もない国に毎日行くのかと聞いているのだね」おじいさんは少し笑顔になりました。
「いいえ。そういうことではないのですが」娘は慌てて言いました。
「年をとると、考えごとが多くてな。この世のまわりを消した状態で考えたいので、ここに来ている」
「ありがとうございました」
「このことを誰かに教えたら鏡の中から出られないと決められているから、あなたと会うことはもうない」
「えっ、どういうことですか」娘は慌てた。
「わしの役目はすんだということ。そうだ。言い忘れていたことがある。この世がいやになったから、鏡の中にでも入ろうかと考えても鏡の中には行けないよ。
自分を正面から見たら必ず鏡は見つかる。それでは、さようなら」おじいさんはそう言うと、娘に微笑みました。そして、鏡の前に立つとすっと鏡の中に消えました。
娘は、おじいさんが消えた鏡をじっと見ていました。そして、「これはマジックなんだわ。人生を変えるために、私もマジックを覚える」と決意しました。