久米の仙人(3)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「久米の仙人」(3)
山田花子がやるように、「エリザベスよ。カモーン」と、指でくねくね誘われると、ふらふらついていく。こういうのを、ハニートラップ(蜜の罠)ゆうけど、これにはまらんようにするのは修行がいる。修行でけんもんは、どんどん遊んでおぼえることや(これには賛否両論があるやろけど)。そうゆうことで、「空を飛んでいるような」、あるいは「飛ぶ鳥落とす勢い」の人が、「突然落ちました」ゆう記事が新聞に載り、すいすい「空を飛んでいる」ときの様子がテレビに出ることがある。墜落した仙人のまわりには、現金が散らばり、手には、手鏡やデジカメが握られていることが多い。最近では、国防の機密文書もあった。
「チョイ悪」を流行らした編集長も、今ややこしいことになっているけど、セクハラしたともゆわれている。仕事が順調やったら、そんなことは絶対ゆわれへんやろ。
森重久弥は、共演女優の尻をさわるので有名やったけど、「先生、またまた」で終わった。
こうゆうのも信頼関係とゆう損得勘定があるような気がする。
さて、現代の仙人は、落ちた瞬間は、カッコ悪いのが先に立って、痛いことも忘れて、すぐ立ちあがって、空を飛ぼうとするけど無理や。そして、新聞に載るわ、仕事はなくなるわと、たいへんや。
久米の仙人は、前に書いたとおり、飛べなくなっても、幸せやった。あるとき、都の造営で借りだされたけど、「仙人、仙人」とみんなにからかわれた(これは、「手鏡教授」とゆわれるのといっしょや)。それを聞いた役人は、「そんな能力があるなら、もう一度がんばって、工事を早くすませることがでけへんのか」と聞いた。久米の仙人は、1週間ほど山にこもって、神通力を取りもどした。山から切りだした材木は、空を飛んだゆうやないか。それを知った天皇は、久米の仙人に、たんぼ30町歩を与えたらしい。さらにえらいのは、久米の仙人は、そこに、久米寺を立てた。
今はマスコミがあるから、久米の仙人より確かにやりにくいけど、現代の仙人かって、心から反省していて、こんどはうまくやりたいと思っているはずや(いやいや、そっちやなくて、仕事や人生をや)。
自分の能力や適正を理解して、その上に、人一倍努力して、他人が見上げるような人間になっていたことを忘れんかったら、また空を飛べるはずや。
家族は、絶対にやりなおしてくれると信じて、一回は許してくれるで。子供も、学校や町中で、じっと耐えているのを忘れたらあかん。死んだりしたら、子供が、一生救われへん。
立川談志が、落語の枕でようゆうように、天才は、将来を予測できるけど、凡才は、過去を経験を生かすかどうかや。
ぼくも、全国新聞やNHKの地方版で、「落ちた」ことが出たことがある。せやけど、破廉恥なことはしてへんで。それまで、ちょっとはでな経済活動をしていたからな。
現代の仙人よ。もう一度修行をして、今度は、テキトーな高さを飛べるぐらいになろう!
それと、ゆうとくけど、久米の仙人は、300才まで、夫婦仲がよかったそうな。