今年六十のお爺さん(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「今年六十のお爺さん」(2)
中学・高校で秀才の誉れ高くても、進学校に行くと同級生に手も足も出ないとゆう学生がいる(プロ野球などのスポーツではよう聞く)。
旺文社模試などの全国模試は(「学研模試」もあったような気がする)、学生に、自分の姿を見させるもんやったとゆえる(市民マラソンで、「早い人は前、遅い人は後ろからスタートしてください」とゆわれるようなもんや)。
給与明細書のような長い紙に成績に印刷してあった。万の桁かと思うたけど、よう見ると10万桁やった(高校一年のとき、クラスの女の子が旺文社模試2番やった。その子に物をゆうのもはばかられたけど、結局私学に入ったようや)。
ぼくは子供の時から言い訳をするのがうまかったし、大人でもすぐ小ばかにする性分やったから、10万桁の成績はカシコとはゆえんけど、教師の話を聞いてへんだけやと思うことにした。
小学生とき、「ものしり博士」とゆわれていたのが悪かったかな。ぼくぐらいになると、勉強せんでも何でもわかると思うてしもうた。
その頃、クイズ番組が好きやった。「アップダウンクイズ」や「タイムショック」ゆう番組をよう見ていた。
M資金にだまされて猟銃自殺をした田宮二郎がてきぱき司会をしていたが、山東昭子が、「トンカラリの反対は?」と聞かれて、すぐ「リラカント」と答えた。
ぼくは、テレビのこっち側にいるのに緊張してわからんかった。そのとき自信をなくした。
爾来四十有四年、めでたく還暦とあいなったわけや(旺文社模試で順番が高かったもんは、今頃、「天下り」で、何回も退職金をせしめて、贅沢な暮らしをしているやろ。まだゆうか)。
60過ぎると、アホはアホなりに、カシコはカシコなりに考えることがある。
それで、舛添が、アヒルみたいな歩き方であっちゃこっちゃ動いているのやろか(総理大臣になっても、鹿鳴館で女を追いかけていた伊藤博文みたいにはなってほしくないけど、こればっかりはなあ)。
この年になって「旺文社模試10万桁」を引きずっていてもしゃあない。
どんな人間も、一つのことに取りくんでいたら、60ぐらいで博士号は取れるんやてな(ぼくのように、すぐ気が変わるもんはどうやろ)。
それで、真面目な団塊世代が定年になって、技術が伝わらんのが企業にとってはもったいないようや。
そうゆえば、この前あるショッピングセンターで、ぼくぐらいのおっさんが、新人のおっさんやおばはんに、エスカレーターの掃除の仕方を教えていた。
上りのエスカレーターの手すりをどう拭くかを自らやっていた。少し上って反対に向いて、タオルを手すりに当てる。そんなに上がらんようにするのがコツらしい。
終ると、ひょいひょいと下に降りてきた。なかなかの手際や(足際も)。
教えるのは、仕事の意義に精通し、仕事を分析できる力がないとあかん。
この前、妻に浮気をなじられて自殺した男がいたが、もうちょっと分析したらよかったのにと思う。
今、夜の営み(ええ言葉や)がない夫婦が多いらしいけど、それは夫婦の間のコミュニケーション不足が原因や(ほんまやで)。
ぼくは、中学のときから、「夫婦生活」ゆう雑誌を愛読していたし、高校からは、友だちがもってきた中国の艶本に興奮したので、そっちのプロや。
「金瓶梅」の主人公の西門慶は色と欲の権化や。やりたい放題や。毎日興奮したわ(そりゃ、旺文社模試もあかんわな)。
「金瓶梅」の英訳本は、「white thigh=ホワイトサイ(白い太もも)」ゆうねんで(そっち方面で博士号が取れたか)。
アホ、カシコを分析すると、やっていることはそう変らんで。
旺文社模試1番の舛添と10万番のぼくが女好きなんやから(これは、舛添にゆわんといてや。訴えられるさかいに)。
知らんうちに磯野波平より長生きしてしまった(波平は54才らしいけど、なんちゅう頭しているねん)。
「今年六十のお爺さん」は、毎日舟を漕いで、みんなの役に立っている。ぼくも、そんなおじいさんになりたい(橋ができたらやめるで)。
幸い、あちこちの病院に行くと(脳梗塞や白内障のとしよりが多い病院やけど)、「おたくはまだ若くて、大きいから」とゆわれるし、NHKで天気予報をしている半井さんが、「明日はオオムネ晴れるでしょう」とゆうと、思わず半井さんの大きな胸を見てドキドキしてしまうから、もう少しがんばれそうや。