家族
今日も、ムーズがやってきた~あなたと漫才を~
「家族」
交差点で、交通事故をすると、どっちかが完全に悪いゆうことはないやろ。ぼくも、事故は、ようした。
「事故は、ようしたが、しらふのときは、一回も起こしてへんゆうのが、ぼくの自慢や」と、昔、ようゆうとった。
とにかく、交差点での事故は、どちらかが、完全に悪いゆうことはなく、いわゆる「10・0」はない。交差点には、「魔物」が住んでいるから、気ぃつけやと、ようゆわれるところや。
怒られるかもしれへんから、最初にゆうとくけど、家庭もいっしょや。どんな家庭問題も、家族の誰かが、100%悪いゆうことはないんや。「家庭には、魔物が住んでる」ゆうてな。
たとえば、夫が、大酒飲のみで、ギャンブルして、借金して、家、めちゃくちゃになってもかゆうことやけど、うーん、むずかしい。「10・0」に近いけど、どうやろ。
経営ゆう言葉があるやろ。普通は、会社経営となるけど、この言葉は、何かを営んでいくことやから、「学級経営」、「家庭経営」ともなるんや。だから、組織のみんなを束ねていかんとあかん。みんなとは、社員であり、生徒であり、家族であり、とゆうことや。
家庭でゆうたら、昔は、父親のゆうことが絶対やった。父親がへなちょこでも、世間が、「父親のゆうことを聞け」とゆうてくれた。今は、近所も、世間も助けて(!)くれへんから、どないしたらわからへん。「私がやる」ゆう奥さんもおるし、「なるようになる」ゆう家庭もある。
社員が仕事せんかったら、給料出てこん。生徒が教師のゆうこと聞かんかったら、親が黙まっとん。しかし、家庭が、ぐちゃぐちゃでも、誰にも迷惑かけてへんから、ほっといてとなる。家庭経営はむずかしいはずや。
しかも、最近は、「価値観の多様化」ゆうのが浸透したから、家庭の定義もいろいろやな。
2,3日前、60近いエルトン・ジョンが、「カナダ男性と結婚します。今までで、一番うれしいです」ゆうとったけど、これも、家庭なんやな。どっかの国では、犬や猫に遺産相続も認められているらしいから、本人には、犬や猫も、立派な家族なんやな。
話を元にもどすと、家庭は、他人の男と女が作るわけやけど、ここだけの話やけど、なんで、この奥さんは、こんな男と結婚したんとか、その反対があるやろ。ほっといたれやゆう声が聞こえてくるけど、夫婦ゆうたらそんなもんや。端(はた)にはわからへん。
だから、家庭問題は、交差点の事故みたいなもんやゆうてるんや。
家庭が、ぐらついているのは、どうやら、ぼくらの世代が親になった頃からやし、その原因は、ぼくらの親が、兵隊から帰って、どの価値観を信じたらわからんようになったからやし、もっともっと、さかのぼれば、明治維新のときも、おんなじようなことがあったんやて。要するに、父親ゆうても、昔から頼りないもんやった。だから、家族みんなで、やらんとあかんゆうことや。ぼくのことは、貸し金庫に預けて、書いたった。