関係障害(3)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「関係障害」(3)
四六時中、布団を叩いていた奈良の「騒音おばさん」のように、人間関係がうまいこといかへんことを関係障害とゆうけど、(1)と(2)で、なんでやろと考えてきた。
本人にとっては、ドラム缶叩くより、布団のほうが、寝るとき気持ええけど、まわりのもんは、頭に血ぃ上って、寝られんかったやろ。
関係障害を調べてみると、自分がうまいことゆかんのは、世の中が悪いとか、だれそれがおるからやと思いこむことが根底にあるらしい。
とにかく、人間関係は、その人の心の状態を現している。人間関係は、心を映す鏡とゆうことや。
しかし、心は深く広いもんや。持ち主でも、どうなっているのかわからんぐらい大きい。しかも、心の中には、コレステロールみたいに、善玉や悪玉がある。
何かとんでもない事件を起こした人間は、動機を、「世の中に恨みがあったから」とかゆう。ぼくの心にも、妙なもんがあって、どこかで戦争が起きたり、何か法律ができたり、タレントが結婚や離婚したりすると、ぼくの許可を取ったんかとつっこむ。まわりのもんが、頭の中わいとるんかとゆうけど、ぼくがおらんかったら、世の中うまくいくといじける。
しかし、やさしいときもある。季節(とき)は弥生3月。前の晩、うまい酒を飲んで、ぐっすり寝て、朝、心地よい春風に吹かれると、みんなの役に立つ人間になろうと思う。
清少納言みたいになったけど、ほんまは、長女と次女のことを考えているときや(長男と次男は、いらいらしてくるけど)。やさしさを照れずに出せる人間になれる。しかも、人生をきびしく教える理想的な父親や(この際、相手がどう思うているかはおいとくで)。
野村監督かって、オープン戦で、キャッチャーのカツノリが、何回も、走者を二塁で殺せんかったのは、ピッチャーがモーションを盗まれたからやとぼやいていたけど、息子と二人になると、ものすごいええ人間になっているのとちがうか。「カツノリ、いつも自分のことを最後に考えたら、世の中うまいことゆくんやで。ふっ、ふっ、ふっ」
とにかく、いつもまわりに腹を立てて、幸せやったら、それでええのやけど、気の弱いぼくは、そうはいかへん。
そこで、遅ればせながら、自分の関係障害を克服するために、人に「礼を求めない」とゆうことを決めてるねん。
誰かに、何かをやって、お礼をゆわれんかったら、いらいらすることないか。ぼくは、「せっかくやったのに」とか「ぼくのやさしさがわからんのか」とぐちゅぐちゅ考えてしまう。そのくせ、みやげなしで、どこへも行かれへん。車で走っているときも、道譲っているのに、手を上げたり、頭下げたりして挨拶せえへんゆうて腹が立つ。ぼくは、右折するとき、後ろの車を待たせたら、申し訳ない気持でいっぱいになる。
自分の気の弱さを、人にも押しつけるのが、ぼくの人間的欠点やった。
なるべく、よその娘ではなく、うちの娘のことを考えて生きていこう。