関係障害(2)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「関係障害」(2)
前回は、心で思うていることを、ポーカーフェイスで隠すことがでけへんもんは、笑顔でごまかすしかない、それもでけへんもんは、もろに顔に出てしまうことを書いた。
せやけど、だれでも考えることは、山のようにある。「今日、昼飯、何食おか」、「嫁はんに内緒で、ええことをするために、どうするか」。悩みは尽きない。
まあ、そんなことは、自分で決めてもらうとして、今回は、「関係障害」やから、対人関係を考える。
目の前に、初対面のもんがいるとしよう。相手が、同性・異性は別として、同年代のもんは緊張する。年を取るほど、同じ時間を生きてきたとゆう思いがあるんやろな。
「はじめまして」、「飯でもどうでっか」。そして、相手を見るわけや。服装のセンスはどうやろ。インテリジェンスはあるか。笑いのセンスは持っているかと、お互い値踏みするわけや。せやけど、箸の持ち方は、どうも気に食わんなどと判断する(ぼくは、クロス箸やけど、他所では隠してるねん)。そうゆうことが、ライブで顔に出てしまうのや。
そして、いっぱいやりながら、腹の中では自問自答や。「こいつとは、あんまり合わん」、「人は人、ほっとけよ」、「でも、自分は、ほんまに、この人が嫌いなんやろか。ひょっとして、ええ人とちがうやろか」。そして挙句の果てに、自分は、嫌われているんやないやろかと心配になってくる。ぼくは、こうゆうぎこちない人間関係を作ってきた。
今まで、自分が嫌いやと思うと、相手もいやがっているでと、ようゆわれてきた。
せやけど、こいつは気にくわんなと思てても、ちょっと口を利くと、一緒に鍋でもどうとなる。
ところで、顔に出てしもうても、黙っているのが普通やろ。せやけど、野村克也ゆう男はなんやろ。とにかく黙っておられへんのやな。
「南海ホークスにいた大沢(親分とゆわれている)は、現役時代は、ベンチで、監督批判ばっかりやっとった」とか、「阪神の岡田監督が、バントさせへんのは、ちょっとおかしい」とかゆうてしまう。
せやから、「前の嫁はんが病気やのに、ほっとらかしで、サッチーの家に入りびたとった」とかゆわれるのやな。野村は、三冠王を取ったことがあるから、ほかのもんは、「敬して近寄らず」か「さわらぬ神に祟りなし」か。
南海ホークスついでにゆえば、「難解」ホークスとゆわれた埴谷雄高の小説「死霊」の主人公のように、自分に合わんもんがいると、「ぷぷぃ」と不満をゆうのやろな。相手を怒らしてしか、人間関係が作られへん典型やろ。
とにかく、関係障害があるもんは、自意識に問題があるような気がする。つまり、人や世間をひがんだり、ひねくれたりするのは、多分自分への思いがある。ちゃんと認めてもらっていないとか、自分は、人よりすぐれているとか。
ややこしくなってきたんで、もう1回だけ書かせてな。

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