イナバウアーあるいは人生について(1)

   

今日もムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「イナバウアーあるいは人生について」(1)
戦後、日本人の体型が劇的に変わったのを、当事者として体験した。個人的にも、高校のとき、毎年10センチぐらい身長が伸びた。大人は、なんでこんなに小さいのやと見下ろしたもんや。世間は、恐竜時代が来たと思うたのとちがうか。
その結果、ぼくらの息子(もう甥や孫の時代に近づいてきたけど)の平均身長は、ぼくらとそんなに変わらんような気がする。ただし、「見てくれ」は全然ちがうけど(噛まへんから、顎が弱くなったとゆわれるけど、それが、顔の小ささと関係があるのか)。
もっと劇的なのが、女の体形や。平均身長とスタイルの両方で進化してきた。
ぼくらのときは、160センチを越していたら、大女とゆわれていた。ほとんどの同級生は、盆栽のような足をしていた(怒られるか)。
今でも、母親とおんなじ脚をしていて、「ブーツなんか履かんとき」とアドバイスしたい女の子がいることはいるけど、最近の若い女の体形は、「欧米か!」(母親と娘は、尻の形が似ると聞いたけどほんまか)。しかも、母親の一部は、娘に、絶対正座をさせなかったり、自転車に乗るさえ禁止したりすることもあるらしい(傷がつくので)。その上、「大きいことはいいことだ」ゆうばかりに、ハイヒールなどをどんどん履くから、さらに大きく見える。
若い男の中には、「女のくせに、ごっつい図体しやがって」と思うているのがいるかもしれん(女は、「男のくせに貧相な体して」と負けとらんか)。
ところで、ぼくら団塊世代が「恐竜化」したのは、栄養がよくなったゆうより、まともなもんが食えるようになったからやろと思う。体格ゆうのは、持って生まれたもんが大きいような気がする。
今、科学読物にこっているけど、「生物は、極端な性質を持っている」ようやな。つまりトカゲが、何十メートルゆう恐竜になったり、鳥類や両生類の中には、ミクロの方向へ行くもんがいる。
人間も、そうゆう遺伝子を持っているのか。坂本竜馬は1835年(天保6年)生まれでも、183センチぐらいあったらしい(姉の乙女も、180センチ近くあったとゆわれている)。
日本人ではじめてジーパンをはき、英語訛りの日本語をしゃべった「マッカーサーを叱った」白州次郎も、1902年(明治35年)生まれやけど、186センチあった(マッカーサーは、大きいイメージがあるけど、180センチぐらいしかなかったようや)。
日本人は大きいと長生きできへんとゆうている医者がいるけど、持ってうまれた体になってへん時代の統計やからな。
当然、スポーツ選手は、粒ぞろいや。日本人は小さいと自他共に思うていたけど、どうえ、最近の体形は。バレーボールの男でも女でも、世界と差がない。外国の女子選手で、2メートルを越すのがいるくらいや(これで、日本が勝てないのは、体格でなく、スピードがないのがはっきりした)。
まあ、「雲の上の人」はおいといて、歴史上、一番劇的な変化を見せた女の体形を見てみようか。スケートの伊藤みどりと浅田真央を比べる。

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