ゴルフ

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「ゴルフ」
正月に親戚が集まり一杯やっていたとき、義兄が、テレビを指さして、「出とるで」と叫んだ。
それは、「東京フレンドパーク」とかゆうアホげな番組で、スポーツ選手を集めた正月特番やった(この番組も終るそうやけど)。
「あれが上井や」プロ野球や女子ゴルフのなじみの顔の中に、見たことのない兄ちゃんが居心地悪そうに立っていた。
「誰ですねん」、「知らんのかいな。わしらが後援会を作っているゴルファーや。日本オープンで5位やで」
要約すると上井の父親は、義兄つまり義父と同じ商売していたので、昔からよう知っている。この前も上井の実家で激励パーティがあったんや。上井の嫁はんはタイガースの久保コーチの娘やとゆうことらしい。
「子供のとき、わしがゴルフ教えたってん」ゆうことも忘れへん(新地のクラブで、大関の魁皇に相撲を教えたとゆう「やしきたかじん」のようなおっさんがいっぱいいる)。
上井の話では、今をときめく石川遼ぐらい練習するもんはいないとゆうことや。
試合が終っても、最後まで練習をするのは、石川遼と自分ぐらいやけど、石川には負けるんやて。
上井なんて知らんかった。しゃあないから、「ギャル曽根が、大食い大会で勝った後、カレーを10人前食べてクールダウンするようなもんでっか」と返事しといたけど(気持ちわりぃ)。
こっちの兄弟はみんな、商売上の付き合いで毎週のようにゴルフに行っているから、ゴルフの話をすると止まらんようになる。
ぼくも話に入れてもらいたいから、「若干17才の石川が賞金1億を取ったんはすごいでんなあ」ゆうと、「トヨタなんかのスポンサー料を入れると、1億ちゅうもんやない。30億は入っているで」と来る。
せやけど、ゴルフがここまでなるとはなあ。
ぼくが社会に出たときは、もちろんゴルフをやっているもんは大勢いたけど、社会的には、大宅壮一が、ゴルフ場を「緑の待合」と揶揄(やゆ)したような受けとめ方やった。
それと「ゴルフはスポーツか」とゆうのがあった。「プロレスは八百長や」とおんなじような雰囲気やった(擁護派は圧倒的に少ない)。
せやけど、上岡龍太郎のようなことが起きる。上岡のことはムーズしたことあるけど(バックナンバー参照)、御堂筋にある大丸と反対側のところで、横山ノックに、「動かんボールを打ってどこがおもろいねん。ぼくは一生ゴルフはせん」とゆうたことがあった(ノックの話)。
せやけど、芸能界をやめた後、しゃれやろけど、プロゴルファーになるゆうてアメリカに行った。
今も、芸人とゴルフをしょっちゅうしている(あのー、ぼくも40過ぎてから、ミズノのゴルフスクールに行ってん)。
今やゴルフは、少年少女、もちろん親にもドリームになった(なりすぎて、「金にならへんスポーツをやっているもんの気が知れん」などとテレビでゆうた上田桃子のブログが炎上したぐらいや)。
昔、ホームランを打った「どかべん」が、「どんな球でした?」と聞かれて「丸い球でした」と答えたそうやけど、ゴルフは一打で勝負が決まるときもあるから、なかなかノーテンキになれへんようや。
これも昔、女子プロレスのミミ萩原が、どこかのゴルフ場で、なかなかカップに入らへんのに旗を立てて、グリーンの上でむちゃくちゃ打って、出入り禁止になったことがある(ぼくも、この口やな)。
ゴルフゆうもんは、誰でもできるけど、最後は自分をコントロールできるかどうかなんやろ。
これも義兄から聞いたけど、トーナメントは一つ減ったけど、一つ増えたそうやから不況の影響はあんまり受けてへんようや。
これからも石川遼、宮里藍、横峯さくらといった若いスターが出てくるやろけど、タイガー・ウッズに代表されるように3,4才から始めんと大成でけんようや。
心は子供のときに基礎ガができるとゆうことやろ。
「世が世なら、わしかって」と、早う生まれすぎたことを悔やんでいるゴルファーも、3才の心でゴルフを楽しむこっちゃ。

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