外国語
今日も、ムーズがやってきた~あなたと漫才を~
「外国語」
「ギョーテとは、俺のことことかゲーテ言い」という川柳があるけど、明治時代、ゲーテを紹介したとき、「ギョ-テ」とゆうたんやな。それで、「ゲーテ」本人が「ギョ-テン」したということやけど、「ゲーテ」もおうてるかどうかしらんけど。外国語を発音するのはむずかしいもんや。そら、発音の仕方がちがうから当たり前やけど。
えらい前のことやけど、レーガンがアメリカの大統領の候補になったとき、最初は、リーガンゆうとった。彼は、映画俳優(大根役者といわれていたけど)やったから、ロナルド・リーガンやった。それが、大統領になって、一週間ぐらいすると、日本のマスコミは、レーガンにしようと言い出した。
昔は、外国語を使う場合、だいぶ神経をつかっていたけど、今は、外国語を平気で使うな。たとえば、外国の映画のタイトルは、ほとんどそのままにしているようになったやろ。ようゆわれるのは、ぼくらには懐かしい「明日に向かって撃て!」は、原題よりええやんといわれている。原題は、「Butch Cassidy and the Sundance Kid」やて。「ブッチ・キャシィディーとサンダンス・キッド」という登場人物だけのタイトルやったら、日本ではあかんかったかもしれんな。
そらせや、「サイナラ」、「サイナラ」で有名な淀川長治や、その弟子の小森のおばちゃんなどが、映画を流行らせるために、「題名」が大事やゆうて、一生懸命考えたんやから。
今は、石原知事や竹中大臣だけでなく、テレビに出るコメンテーターゆうやつでも、知ったような英語を使うやろ。「トレーサビリティ」とか「サーベイランス」とか。
確かに、昔と状況が変わってるのはあると思うわ。今は、世界と「リアルタイム」ゆうことやから、アメリカなんかで出てきた考え方を、すぐ取り入れようとするからやろうけど、言葉に対する責任感というか、創造性というか、そんなものが少なくなってきているような気がする。たとえば、介護保険で出てきた「ケアマネージャー」は、みんなで(ゆうても役人やけど)相談して、そのままでいこうということになった。これで、年寄りや家族が、「ケアマネージャー」ゆうて、どんな存在かわかるか。日本で、マネージャーと聞いたら、タレントかナイトクラブしか思いつかへん。
フランスや中国は、絶対そのまま入れへん。躍起になって、テレビという英語(フランス語と英語は、「いとこ」ぐらいの関係やけど)をなくそうとしていたけど、どうなったんやろ。
日本は、戦後、英語を公用語にするために、漢字、ひらがなをやめて、カタカナだけにしようという考えもあったんやて(わけわからんわ)。もう少しで、英語なんか勉強せんでも、しゃべられるようになっていたかもね。それぞれの言葉には、歴史とか文化とか、ものすごいものが詰まっているねん。それを考えたら、自分を上手に表現できるとおもうねんけど、なんで、日本人は、なんぼ勉強しても、英語があかんねやろ。