ファッション

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「ファッション」
この前、久しぶりに電車に乗ったら、途中で二十歳前後のにーちゃんが乗ってきて、ぼくの前にすわった。そして、さっそくスマホをしはじめた。
気にかけないふりをして、じろじろ見るとゆう得意技を発揮していたが、足元を見て驚いた。
靴の色が違うのや。右が赤で、左が緑や(その反対やったかもしれへんが)。
こいつ、色盲か、それとも、あわてていたんかと思うたが、ようやく、色違いの靴がファッションになっているとテレビで見たことを思いだした。せやけど、だいぶ前の話や(それにしても、ワードで、「色盲」を出そうとしたが、一覧にはないし、「盲」もない。いやな世の中になってもうた)。
とにかく、「靴まちがってますよ」とゆわんでもよかった(昔から、「チャック開いてますよ」、「値札がついてます」、「シミチョロですよ」などはゆいにくいもんや)。
まあ、おんなじ靴やから、ファッションやろと善意に取ったけど(「ABC」で買うたんか)、これが、運動靴と革靴やったら、正面から顔を見たかもしれんな。
どんなことも、「ほど」ゆうもんがあって、靴の右左(みぎひだり)が反対とかシャツの前後(まえうしろ)が反対などが流行ることは絶対ないやろけど、目が釘づけになるぐらいのインパクトがないと流行らんやろな。
つまり、晩飯のとき、「今日、へんなやつおったで」とゆいたくなるような恰好やないとあかん。それが、テレビやネットで広がり、それをせえへんとあかんような雰囲気になるわけや。
あの白洲次郎が日本で初めてジーパンをはいたとゆわれているけど(多分、イギリス留学時代からやろけど、昭和20年の写真は、白いTシャツにジーパン姿で足を組んでいる。しかも、ジーパンの長さを、裾を折って調節している。カッコええ。そして、男前でリーゼント風のヘアスタイル。英語堪能。明治35年生まれやけど、こんなパーフェクトな男がぼくの田舎の近くで生まれるとはな)。
ぼくがジーパンを初めてはいたのは、中学3年や。親戚が送ってくれたのやけど、大将8年生まれの父親が、「不良のはくようなもんは、すぐ捨ててしまえ」とたいへんやった。
ミニスカートも、ツイッギーが来てから、あっという間に広がったな。
母親の世代も、喪服までスカートの丈短くしていた。膝上10センチ、20センチが当たり前の風景になって、長いのんをはいている女の子はダサかった。
しかし、永遠に続く思うていたミニスカートも、いつの間にか姿を消していったやないか(阪急四条駅から高島屋に登る階段はよかったのに)。
最近、5,60代のミニスカートは見たことないけど(都会にはいてるのかな)、襟を立てているおっさんは田舎にもおるで。
一番有名なのは、柳本ゆう元女子バレー監督や。ぼくは、昔したことがあるけど、落ちつかんかった。年取っても、襟を立てんと外に出られへんのやな(化粧といっしょや)。
それから、シャツをズボンの中にいれるのはごろごろいる。ぼくも、その世代やけど、シャツを入れんと怒られた(学生服の下のシャツを出していたら教師にどつかれた)。
それが残っているのか、何でもかんでも入れるのがいる(最近は、入れたほうがカッコいいのがあるようで、さすが流行やな)。
どちらも青春の名残りや。若いときに体に入りこんだもんは中々出ていかへん、ピロリ菌みたいに。
ピロリ菌は、薬で追いだせても、ファッションは、そのうち、スタイルとなって、その人の一部となる。
そして、「ええスタイルしとるな」とほめられるようになる(若い男は深田恭子のスタイルは最高と考えているらしい。壇蜜は別のことで人気があるのか)。
また、ファッションは頭に入ると、同じスタイルと名を変えても、生き方や文体となる。
まず、おそるおそるでも、ファッションを取りいれることは大事なことや。そして、心で、ショートさせて、化学反応を起こす!
青臭いことゆうてしもうたが、年取るほど、自分のスタイルを作るのは楽しい人生になるはずや。
せやけど、「ライン」はやめとくわ(まだスマホももってへんけど)。女房に、「あんたは、人のことをええようにゆわん性格や」とゆわれているしな、これ以上世間を狭くしたくない。

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