エーモン、ワルモン(2)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「エーモン、ワルモン」(2)
テレビ番組から生まれた「いい子、悪い子、普通の子」の「普通の子」は、99%の無名のもんに名前をつけたんやから、「0」の発明ぐらい画期的やった(ちょっとおおげさか)。
もっとも、何かしでかすもん(たいていえげつないことやけど)の評判は、「普通の人ですよ」といゆわれるから、「普通」の中には、エーモンやワルモンの候補者はいっぱいおる。
とにかく、大人も子供も、エーモン、ワルモンを求めている。しかも、神のようにあがめたてまつるエーモン、血祭りに上げるワルモンは、それぞれ一人ずつでええねん。
戦後は、力道山を持って、エーモンの嚆矢とする。ワルモンのアメリカをこっぱみじんにやっつけてくれた。せやけど、日本のエーモンは、アメリカへ行ったら、覆面かぶってワルモンになる(助けあいや)。
映画もそうやったな。ワルモンの大名や越後屋(三越の前身やのに、えらいワルモンになってもうた)が、「いいではないか」ゆうて、若い女の帯をくるくるほどこうとする。そして、馬を飛ばす早乙女主水之介(旗本退屈男)や法月弦之丞(鳴門秘帳)に、大人も子供も、手に汗握ったり、立ち上がって、「早う行かんかい!」と叫ぶ。やっつけたら、拍手喝采や。しかし、不幸にもやられてもうた娘は、あらぬほうを指さして、「蝶々が・・・」とつぶやく。女中頭は、それを見て、「おいたわしや」と袖をぬらす。観客も、今度は、絶対やっつけてくれよゆうて、涙をこらえる。無邪気なもんやった。
もっとも、ぼくは、子供心に、女の帯をほどいたら、何であかんねんと思うていたけど。
ぼくは、バイオレンス映画は大嫌いやけど、映画があかんようになったんは、テレビに、エーモンを取られてもうたからやと思う。
エーモン・ワルモンがいるのは、現在もいっしょや。今、「あっぱれ」、「喝」ゆうてる野球解説者の張本は、ワルモンやった。せやけど、引退試合のときは、白いチョゴリを着たお母さんを球場に招待して、みんなの涙を誘った。ふてぶてしい打ち方は、広角打法になった。
清原は、ワルモンからエーモンになった。松井は、反対にワルモンになってもうた。イチローは、ヘンナモンからエーモンになった。サッカーのヒデはどうなるんやろ。
ホリエモンも、ホリ「エーモン」から、(社会から)「放リエモン」、堀の中にいるから「ホリ」エモンになった(Wヤングみたいや)。
実際の本人のことなんかどうでもええのや。とにかく、体に、食べもんがいるように、人は(社会も)、生きるエネルギーを補給するために、エーモン・ワルモンがいる。
田中真紀子は、家族、丁稚(でっち)だけがエーモンで、それ以外はワルモンと考えているとゆわれている。わかりやすくて、生きやすいやろな。
自分にとってのエーモン・ワルモンを見つけることは、人間を見る目を養うことや。
ぼくも、エーモンにはなれへんから、りっぱなワルモンになったる(何いじけとるねん)。