あたん(1)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「あたん」(1)
旅立ちのシーズンや。本来は夢や希望を胸に家を出るもんやけど、このご時勢で親の仕送りがしんどくなっているので気を使う子供も多いらしい。
先週、長女の結婚式で久しぶりに東京へ行ってきたけど、4,5年前まで、ぼくがぶいぶいいわせていたときと変ってなかった(もっとも事務所がある道玄坂で飲むだけやったけど)。
どこも大学や専門学校の新入生らしき若い子にあふれていた(東京へ行くのをあきらめた友だちの分まで、東京ライフを楽しんでほしいもんや)。
ぼくらの頃は、東京の大学へ行くゆうたら、外国へ留学するように思うえたもんや。
東京の大学(東大とちがうけど)へ進学する友だちが輝いてみえた(なにしろ大体の親の月給が10万円もないときに、5万円、10万と仕送りできる家なんてそうなかった。
ぼくは京都に親戚があったので、京都へ行ったけど、1万円の仕送りやった。それでも、勉強せんと飲んでばかりいたゆう思い出しかない)。
そして夏休みになると、バイトの間に親元に帰るのやけど、東京へ行った友だちは、「そうだね。あれなんだっけ」とゆうようになっていた。
おまえ、この前まで、「せやせや、あれなんやったん」とゆうていたやないかと思うたけど、今から考えたら、田舎に帰っても東京弁を使うのは見栄っぱりもあったやろけど、親に、「これで、うちの子もりっぱな国際人になった」と喜んでもらうためやったんや。
関西出身のアナウンサーのように、母音を出さないように発音する練習とかしたんやろか。
昭和40年ごろは、関西弁は全国的には日陰もんやったし、ぼくが育った地域は、有名な和歌山弁と同じように、「ど」と「ぞ」の区別がなかった(大人は、溝を「みど」と言っていた)。
「言葉の同心円の法則」(文化の中心の大阪を中心として、言葉が同心円に広がる傾向があるのを、今ぼくが名づけた)ゆうのがあって、人の行き来と関係あるのやろな。
数年前、ある警官が、「あいつ、「ハザードランプ」を、「ハダードランプ」ゆうねん、和歌山生まれやからな」と同僚のことをゆうていたけど、「ざ行」と「だ行」の全部がそうなんやな。
ぼくも、ぶいぶいゆわせているときに(まだゆうか)、向田邦子の妹の店で、「ヌタ(↑)ちょうだい」とゆうと、「ああ、ヌタ(↓)ですね」と直されたけど、あれ腹立つな。
40年前は、友だちはひどく傷ついたやろ。みんなようがんばった。
カメラじじいの林家ペーは大阪のど真ん中で生まれ育っているのに、関西弁は大嫌いで、「この前、お姉ちゃんが、「あんた、おかあちゃんの法事やけど、いつ帰ってくるねん」と電話かかってきたけど、いやだねー、関西弁は」とゆうていたし、東京育ちの作家の嵐山光三郎も、関西弁も大嫌いらしいけど、あれが、東京の下町の大体の感覚やろ。
ぼくも、東京の人間とだいぶつきおうたけど、言葉以上に、関西人は粋じゃない、金に汚いとゆうイメージをもっている。
今テレビをつけたら、ヨシモトの芸人の「なんでやねん」、「あほか」ばっかりやから、東京の連中は苦々しくの思うているやろな。
ぼくでも、なんとかならんのかいなと思う。昔の人に聞いたら、「関西弁は、もともとあんなに汚いことあらしません。男の人でも、『お気をつけくださいまし』とゆうたもんです」とのこと。
前回、道具についてゆうたけど、言葉とゆう道具についてもう一回。