今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(102)

「穴」
若い男が道端に倒れていた。近くに山が見え農地が広がる郊外だが、ときおり人や車が通るのに、誰も気がつかないのだろうか。
ぴくっともしないので死んでいるように見えたが、ようやく体が動き、曲げていた脚が伸びた。生きていたのだ。
それから、うーんと唸ると目をゆっくり開けた。どこかで鳥が鳴いている。遠くで爆音が聞こえたかと思うと、だんだん大きくなってきて、すぐ近くを通りすぎた、
「車だ。近くに道があるんだ」男はほっとした。そして、「ここはどこだ。おれは何をしているんだ」と口に出した。
男は記憶を辿ってみた。頭がズキズキするが、それでも、何とか思い出そうとした。
そうだ!日曜日、いつものように犬の散歩に出かけたんだ。しかし、犬がいつもとちがって、野原の中に入ったから、それに引っ張られた。止まれ!とリードに力を加えたとき、何かにけつまずいて倒れた。そのとき、穴に落ちたような気がする。まっさかさまに落ちているとき、犬が大きな声で鳴いていた。それが穴に反響していたような気がする。
待てよ。ここにいるということは、穴に落ちたのではなく、単に頭でも打って、気を失っただけなんだな。
男は、ロン!と犬を呼んだ。何回も呼んでしばらく待ったが、犬は来ない。
そうか。妻を呼びに帰ったのか。でも、もう大丈夫だ。男は起きあがろうとしたが、腰から下に力が入らないことが分かった。
1時間ほどそのままでいたが、誰も来ない。これはまずいぞと思って、「おーい。誰か助けてくれ」と叫んだ。すぐに、長い草をかきわけて、二人の子供がやってきた。
「動けないんだ。大人を呼んできてくれないか」と頼んだ。「ようやくが気がつきましたか」と一人の子供が笑顔で言った。もう一人の子供も、「1週間倒れていたものね」と言った。
「1週間?」、「そうです」、「それならどうして大人に知らせてくれなかったんだ」、「そんなことをしたら、先生や親に叱られます」
男は、それ以上言うのを止めて、「とにかく、大人を呼んできてくれ」と頼んだ。
救急車が来て、すぐに病院に運ばれた。頭を打っていたが、障害が残るほどではなかった。
ただ、ここでも、医者や看護師は自ら何もせず、患者が頼むことをするだけだった。
男は、少し余裕が出てきたので、親しくなった看護師に、今まで経験したことを冗談まじりに話した。
「1週間もほったらかしにされていたんですよ。ひどい話ですね」
「それは当然です。助けるなんてことは誰もしませんよ。みんなやさしい人ばかりですから」看護師は諭すように言った。
「ほっておくのが親切なんですか。普通病院に運ぶでしょう」男は少し言いかえした。
「そんなことはありません。病院に行くことがその人の意思がどうかわかりませんから」
「そんな!」
「人に不安を与えるのが一番悪いことですよ」
男は、「はあ」と答えたが、もう話をする気持ちがなくなっていた。郷に入っては郷に従え、だ。頼めばみんなすぐにしてくれる。ただ、妻を呼んでくれと頼んだが、住所がわからないという答だった。とにかく、早く退院できるようにがんばろう。それから、役所に行けばいいのだと思って懸命にリハビリを続けた。
2か月後、ようやく退院することができた。そして、病院に掛けあって、ホテルを予約した。
家の近くで倒れたのだから、いくら救急車がたらいまわしをされたからといって、そんなに遠くまで来ているはずはないと考えて、役所に行った。しかし、どこもわからないと言うだけだった。
ある日、散歩をしているとき、一人のおばあさんが道端におしゃがみこんでいた。自分のようになってはまずいと考えて、「病院に行きましょう」と声をかけた。
しばらくするとサイレンが聞こえてきた。早いなと思っていると、救急車ではなく、パトカーが来て、「逮捕する」と言うのだった。
「どうしてですか!」と激しく抗議したが、「相手が望んでいないことをしたからだ。これは脅迫罪だ」とパトカーで警察に連れていかれることになった。
数日後、裁判が行われ、懲役、1年の刑が宣告された。
裁判長も、「外国人だから少し緩い刑にした」というばかりだ。検察官も弁護士もみんな満足した顔をしている。
「人の役に立ちたいという善意の気持ちが罪になるなんて、ここの人間はみんな腐っている」男は大声で抗議したが、全員聞く耳を持たなかった。
しかし、ここでも、何か頼めば、看守がそれをやってくれるのだ。男は何がなりやらわからなくなった。
あるとき、親しくなった看守に、「財布を拾ったら、どうしたら罪にならないのか」と聞いてみた。
「拾うことがよくないですね。それを警察に届けても、自分のものにしても同じです」
「落とした人は困っているだろうに」
「そう思うのなら、そこに置いておくべきです。持ち主は、自分の行動を思いだして、もうすぐそこに行くかもしれないからです」
「届けるのと自分で使ってしまうのでは天国と地獄ほどちがうのに、なぜそれがわからないのか」男は腹が立ちましたが、返事をする気力がなかった。
数日後、刑務所内を散歩しているとき、野球のボールが草むらに飛んできた。
少し躊躇したが、「これくらい」と思ってそこに行こうとすると、穴が開いていたのかあっという間に落ちてしまった。看守はすぐに駆けよったが、男の姿は穴の闇に消えていた。

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