挨拶(3)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「挨拶」(3)
先日朝日新聞の声欄に、以前派遣労働をしていた若いサラリーマンが、「非人間的な派遣労働を禁止しろ」と投書していた。
ぼくも、介護保険ができるずっと前から(昭和49年)、在宅介護のスタッフを派遣する事業をしてきた。
当時、世間からは、「口入屋」とか「ピンハネ商売」と思われていたし、国からは、職安法違反と見なされて、スタッフどころか、経営者のぼくも社会保険に入れてもらわれんかった。
そして、時は過ぎ、許可さえ受ければ、派遣でも請負でもなんでもええ時代になった(友だちを紹介して、謝礼もらっても違法ではない)。
役務(えきむ)事業はしんどいので、もうせえへんけど(先に賃金を払わんとあかんやろ)、派遣労働の元祖として、派遣事業には興味はあった。
そこへ偽装問題(食品ではなく、請負偽装のほうで)が頻発したこともあって、ジャーナリスト気取りで、去年の暮、ある派遣会社に登録した(世間からお金をもらうのは30年ぶりやし、60前やから採用されかどうか緊張したけど)。
そして、お歳暮シーズンで人手不足だったのか、ある運送会社で深夜仕事をするようになった。
仕事は、何千台とゆうトラックで運ばれてきた、荷物が詰めこまれたケースを降ろして、所定の場所まで運ぶことや(人は、なんぼ物を贈ったら気がすむねんゆうぐらい荷物や)。
ものすごい数のケースを何百人とゆうバイトで、ただ黙々と運ぶのやけど、ピラミッドの石を運ぶユダヤ人奴隷のような気分やった。
上司は、20、30代の若いもんやけど、仕事の指示は2,3分しかせずに、ぼくらが場所をまちがうと、鬼のような顔で、「何やっとんじゃ、アホか」と怒鳴りつける。
奴隷やから名前で呼ばれることはなく、「どこそこの派遣会社の者は、ここに集まれ」で仕事は進む。
若いサラリーマンが書いているように、朝から晩まで働いても、一日の賃金6000円ぐらいで、しかも、シャツや軍手は自分持ちで、夏場は水分を取るために1000円ぐらいいる。そのうえ、登録料とかゆう名目で引かれて、実質5000円にもならへん。
これで、どうして将来の夢を描けるのかゆう主張やった。
それは負け犬やからしゃあないとゆうもんもいるやろけど、派遣会社に登録している者は、全国で何百万人もいるのや(つまり、何百万とゆうもんが、名前を呼ばれることもない、使いすての人間や)。
怒鳴りちらしていた運送会社の若い担当者も、あれだけの荷物を一晩で仕分けせんとあかん責任で、いらいらしていたんやろ。
ぼくは、派遣事業は禁止しろとゆうつもりはないし、大企業でも、余裕がないところが増えてきているのはわかるけれど、今こそ、若いもんに語る時やないか。
「そんなこと言いましたっけ」とか「兄弟で80億円損しました。あはは」とかゆうKYのリーダーの国の未来はないで。
ぼくは、血圧の薬を飲んでいるので、深夜20~24時の仕事は大丈夫か、60まで生きたいけど、それまで持つかとひやひやしたけど、あれれ、1ヶ月で、何十年ぶりに80キロを割って(老若とも、1ヶ月5キロ以上は減る)、朝の血圧も、100ちょっとになった。
とにかく、2か月分15万円(時給1000円)の賃金をもらって、涙が出るほど感動した。
それなのに、長女にブランドのカバン、次女に冬山登山でもOKのデジカメを買わされたうえ、みんなで飲みにいったらなくなった。
次回も、テーマを変えるけど、言葉について。