今日も

      2016/04/03

ってくれる者もいる、それも、信頼の表れだ。
また、美奈子の顔を浮かんだ。
これから、美奈子は、ぼくを理解しようとしてくれるだろうか、そして、少しでも理解してくれるだろうか。
去年、美奈子の誕生日に招かれたとき、美奈子の部屋へ入った。そこは、ぼくや男子の部屋と違って、ピンクや黄色の華やかな部屋だった。まるで、おもちゃ屋のようでもあり、大人の雰囲気があるようだった。しかし、まじまじとは見ていない。
「ここへ入れたのは、男子では悠太君だけだからね」と言って、ぼくの眼をまじまじ見たときの顔を思い出そうとした。そのときは、何か怖そうな雰囲気になったので、「ありがとう」と言って、すぐに部屋を出た。あの時は、どうしたらよかったのだろう。
とにかく、また、あんなに仲よくなれるだろうかと考えた。
ところで、パパは、最近、いろいろな話をする。
言葉は、どんどん覚えたほうがいい。たとえ、場違いな使い方をしてもね。「失敗すること」以上の経験はないんだから。
とにかく、言葉は、人と人をつなぐもものだから、暗闇の中で、光のような役目をする。
しかし、人をあざけったり、ののしったりする言葉は、暗闇をさらに暗くする。
また、必要な言葉を探そうとしていると、自分の心にある、言葉になる前のものを感じるようになるし、また、言葉以外に、大事なものがあることがわかる。
なぜなら、言葉は、自分の気持ちをぴったり表すことができないときもある。
だから、ていねいに言葉を探して、自分を伝えるようにしなければならないし、相手の言葉も、奥まで理解しなければならない。
言葉は、花といっしょだよ。柔らかい土と、暖かい日の光があれば、少しの水で、すぐに咲くが、固い土と、暗闇のなかでは、なかなか咲かないんだ。
パパの話したくれたことは、まだ、よくわからないところが多いが、誤解を受けても、そこから逃げずに、がんばってみようと思った。
パパは、自分の経験を話してくれた。こんなことを書くと、変態の親子と思われるかもしれないが、ぼくが、教室で誤解され、美奈子にも、勘違いされていることを聞いて、自分が、今まで誰にも言わなかったことを言ってくれたのだから、ここで書くべきだろう。

パパも、誰も知らない言葉を、誰よりも早く使いたい子供だったらしい。
小学3年のころ、ようやく買ってもらったテレビを、毎日見ていた。
ある警察のドラマで、「生理」になった女の子が、万引きをして、警察に捕まったというような内容であった。
パパは、これは一大事だと思って、「生理って、なんなの?」(それを表す、古い言葉は、知っていたが、ここでは書かない)とお母さんに聞いた。
こういう話題は、今以上に、親を悩ますようだった。パパのお母さんに、男は知らなく

 -