いずこへ

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「いずこへ」
緒形拳が死んだ。心に一物を持つ者を演じさせたら天下一品やった。
「復讐するは我にあり」がその真骨頂やろ。口をすぼめて、おだやかに笑っているかと思うやいなや、相手の首をぐっと絞めてしまう恐ろしさはすごかった(賠償美津子のオッパイもすごかった)。
その前の「楢山節考」のときは、緒形拳より坂本スミ子がすごかった。40代で前歯を全部抜いて老婆の役をするのやから(その後の人生を見たら、まわりが見えなくなるタイプやな。今でゆうたら、石原真理子のようか)。
坂本スミ子は、「木島則夫モーニングショー」に出ていた栗原玲児と結婚したけど、「玲児童はん、男が好きやったんや」ゆうて別れた。
栗原怜児は、栗原はるみとゆう「世界一の料理研究家」の夫になっている。
人間、どこで、どうなるかわからんもんや。
ノーベル賞の受賞研究もそうらしいな。ある研究していても、なにかの都合で、他のことに興味がわいて、それでノーベル賞となることもあるらしい。
しかも、日本レコード大賞ほどではないけど、毎回クレームがつく。「欧米の次は、アジアで」とかあるらしい(日本レコード大賞は、カーオブザイヤーといっしょで、出来レースらしいけど。「ルモンド賞」とか「ISO」なんかも金で買える)。
今回も、イタリアからも、「なんで日本人ばっかりやねん、こっちの研究者も同時に発見したやろ」と文句が出ている。
DNAが「らせん構造」をしていることを解明した、アメリカのノーベル賞受賞者は、ある女性研究者のX線写真を盗み見して研究したらしい(その経緯は、福岡伸一の「生物と無生物のあいだ」にくわしく書いてある)。
その受賞者は、去年やったか、「黒人の知能は、生まれつき劣っている」とかゆうていた。
とにかく、長年の研究が評価されたのはめでたいこっちゃ。
南部陽一郎ゆう名前は聞いてことあるけど、他は知らんかったなあ(下村ゆうクラゲをつかまえる名人は、最初、佐渡島にいるジェンキンスさんかと思うた)。
しかし、この人たちは、ほとんど後期高齢者やろ。受賞対象が、いくら50年前のことでも、今も研究しているからノーベル賞や。
「最近は、もっぱらテレビの守りをしてまんねん」とか、「ノーベル賞よりノーベル飴のほうがええな。れろれろ」ゆうようになった人はいない。
テレビなんかで注目されるようになると、4人とも、「前からゆおうと思うていたんやけど、なんや今の教育は・・・」ゆうのは痛快やなあ。
せやけど、「ご高覧はありがたいですが、それだけです」やろ。
あいかわらず親は、無理してでも子供を塾に行かせ、学校も、「夜は教室が開いています。なんやったら、塾でもしまへんか」や。
「学校選択制」をやるなら、「塾なんか不要や。そのかわり、親はちょっと雑用を手伝ってな」ゆう学校が出てこうへんもんかな。
あの人たちは、ゆいたいことゆうたら、なんぼ年をとっても、自分の興味があることをするだけや。子供のとき、「一つのことを60才までしたら、誰でも、博士ぐらいなれる」とゆわれた(ゆうた本人は、何もしてへんかったけど)。
今回、博士になれんでも、ええ人生を送るためには、「後期は好奇」やゆうことがわかった。
それでか奥村チヨも黛ジュンも、60を過ぎても、「あなた好みの女になりたい」とか「恋の意味さえ知らずにいたの」と歌っている。
みんなまわりへの好奇心を忘れへんのや。ぼくも、もう60やけど、見たいもんがいっぱいあってよかった。

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