シーラじいさん見聞録
「つまり、この方の世代は、新たな生を切りひらこうとされたのであります。
すると、神は、自らの意図を厭わず、地を歩く者には足を、空を飛ぶ者には羽を与えたのであります。
何という慈愛でありましょう!
また、神は、異郷に耐えきれず、戻ってきた者にも、手を差しのべたのであります。
わがボスの一族もまた、神のご加護を受けた者であります」
「おまえの話はいい」
「お客人に失礼だぞ」という声があちこちから上がった。
マグロの司会者は、不安そうにあたりをきょろきょろ見た。
「皆様、ご静粛に。それでは、先輩の叡智を拝聴する時間となりました」
司会者は、そういうと、岩陰に引きさがった。
シーラじいさんは、ようやく岩陰から出ることができた。
海を激しく叩く音が起きて、聴衆の体が揺れた。
シーラじいさんは、その動きがおさまってから、話しはじめた。
「今、過分の紹介に預かったのじゃが、わしらの一族は、臆病者ぞろいで、誰も来ない深いところで、しかも、岩の中でじっといる。見た目とちがうのじゃ」
少し笑いが起きた。
「まあ、何億年という時間が立つ間に、そんな生活に飽きた者が、どこかに行ったようじゃ。
わしらは、どこにも行かなかったが、それでも、退屈しのぎに上から落ちてきたものを見ることがあった。
それは何なんだろうと興味を持った者が、住処を出て集めるようになったらしい。
ただし、それはわしの憶測だ。ときどき勘違いされるが、わしは、そんなに昔に生まれていないぞ。年は、皆さんとそう変わらん」
笑いがどっと上がった。
「それは何かと言えば、ニンゲンの書いたものだ。絵もあるし文字というものもある。
確かにおもしろいものだ。わしらのこともわかるし、わしらがいる海以外のこともわかる。
また、わしらはなぜ生きているかと考える契機になったものもある。
皆さんが、ここでやっておられることは誠にすばらしい。
殊にやみくもに争いに介入しないのは賢明であると思われる。
憎悪や怨恨が争いを引きおこす。第三者が争いを途中で止めたり、両者が憎悪や怨恨の無意味さを理解しないのであれば、それらは残ったままになり、前よりひどい争いが起きるようになるからじゃ。
両者が仲裁を望むときこそ、争いを根絶する絶好の機会である。
なぜなら、両者の憎悪や怨恨は、今後新たなものが生まれるとしても、今までの憎悪や怨恨は消滅するからである。
仲裁をさらに有効にするために、ニンゲンから学んだことをお話しする」
シーラじいさんの話は続いた。
「ニンゲンは、将来に起きることに対して、過去に起きたことを利用する。
しかし、無数の出来事を一つ一つおぼえることは不可能であるので、分類という作業をする。
分類とは、個々のことを見て、共通したものを探すことじゃ。
つまり、同じ争いでも、領土の取りあい、食料の奪いあい、昔からの宿怨などという分類もできるし、場所の共通点はないか、争いの当事者はどのような仲間かいう分類もできる。
そうすれば、どのような争いだったか、どうような仲裁をしたか、どのような結果になったかがすぐにわかる。
そして、それを参考にすれば、今後争いが再燃しない仲裁を出せるということじゃ。
もちろん、そのときの状況も考えなければならないが、今は分類ということをおぼえることじゃ。しかし、これには大きな問題がある」
シーラじいさんの話は皿に続いた。聴衆は、音も立てずに、じっと聞きいっていた。
「つまり名前という問題じゃ。わしらは、自分が見たことを、その場にいない者に伝えるのは苦手じゃ。しかし、これは、こういう言い方をしよう、あれは、こう呼ぼうと決めておけば、どんなことでもすぐに伝わる。それを名前というのじゃ。
ニンゲンは、あらゆることに名前をつけておる。だから、分類をするのもすぐにできる。わしらは、そんなことはできない。わしらには、言葉がそう必要でない世界に住んでいるからだ。
今急がなければならないのは分類だから、とりあえず必要なものだけに名前をつけていったほうがいい。
つまり、何かに名前をつけて、分類をする。そして、その分類を、今後の仲裁に生かすということじゃ」
シーラじいさんは、ここまで話すと、仲裁人や書記たちの反応を見た。
場内は物音一つなかった。みんなの目は大きく開かれたままだった。ようやく隣の者に何かささやき、耳打ちされた者は大きくうなずく光景があちこちで見られた。
「まあ、わしが知っていることはこれくらいじゃ。
途方もないことを言ったようじゃが、分類を考えたニンゲンも、昔にさかのぼれば、わしらと同じように、ここにいたと聞いておる。
その後は帰らずに陸上で生活をしている。分類ということを考えたくらいだから、向こうにも争いが絶えないのじゃろ。
ニンゲンについては、もう少し知っているが、それは、またの機会にする。
ここでも争いが年々増えていると聞く。なぜそうなっているのか、あるいは、それを防ぐ方法があるのか、皆さんは、毎日頭の痛いことじゃろ。
わしの話が役に立つことがあるかどうかわからんが、大勢の方にわざわざ集まってもらって、誠にありがたいと思うている次第じゃ」
シーラじいさんは、そういうと、頭を下げて、岩陰の方に向かった。
静まりかえっていた場内は、一転波を打つ音と歓声が響きわたった。
すると、先ほどの司会者が興奮した様子であらわれた。
「皆さん、今日は歴史的な日であります。
何となれば、われわれが日々行っていることが正しいことであり、しかも、それを、さらに無謬(むびゅう)のものにする術(すべ)を知ったからであります。
われらの勇気は、理性という伴侶を見つけて・・・」
司会者が、そこまで言って、当たりを見わたすと、聴衆は、七つ八つの環に分かれて、何事かを話しあっていた。
司会者は、話を続けることをあきらめて、一つの環に加わった。
誰も、シーラじいさんの話に強い衝撃を受けていたが、その反応はさまざまだった。
10頭近く集まっていても、誰も何もしゃべらず、自分の考えを求めようとしているグループをあったし、早速、自分ならこうするという話が行きかっているグループもあった。
「ところで、ニンゲンはどこにいるんだ」
「さあ」
「わしは見たことない」
「外の海に行くと、突拍子もなく早いものに乗っている者がいるだろう。あれがニンゲンだ」
「あのうるさい連中のことか」
「ときどき、妙なものをつけて、わしらがいるところまで近づくこともある」
「あいつらは危険だ」
「そうだ。ニンゲンが来ると、行方不明になるものが多いと聞いた」
「それどころか目の前で殺される者もいる」
「わしらは、やつらには近づかないように、親から言われた」
「そういえば、最近の子供は、やつらが立てる波がおもしろいといって、わざわざ近づくらしいな」
「深いところにも、妙なものが動いていることがあるだろう。あれもニンゲンの仕業だ」
「あんなに大きいのか」
「いや、ニンゲンは、あの中にいる」
「わしらは、よくわからない連中の真似をする必要があるのか」
「うーん」
そういう会話が何日も続いた。
しかし、シーラじいさんは、講演をした後、体調を崩した。オリオンのリハビリにもついていけなくなった。
そして、ようやく体を動かそうかという気持ちが出てきた頃、誰かが訪ねてきた。