シーラじいさん見聞録

   

確かにヘリコプターの音が近くまで聞こえるようになっていた。しかし、クラーケンたちが潜れば、ニンゲンは、スエズ運河では足も出ないのだ。
クラーケンたちが、なぜ紅海からスエズ運河に入り、地中海に行こうとしているのかよくわからないが、クラーケンたちに追いつかれるようなことになれば、ニンゲンに、クラーケンの一味と見なされて攻撃されるのはまちがいない。それは絶対避けなければならないことだ。
シーラじいさんは、網があっても潜りぬけることができるので、わしに構わず行けと言って譲らない。
オリオンたちは、機雷があるのでいっしょに行ってくださいと頼んだが、わしのことは心配するなと言いはった。心残りだったが急ぐことにした。
途中ペルセウスが待っていてくれた。これで、大きな不安はなくなった。
ペルセウスは、オリオンたちから賞賛の言葉も聞くことなしに、「こっちだ」と急がせた。
そして、急ぎに急いだ。やがて、「そろそろ出口だ。絶対に網に触れるな」ペルセウスは振りかえり叫んだ。
進むにつれて、左下が大きく抉れているのがわかる。「まだ、ニンゲンは気づいていないようです」ペルセウスが、オリオンに囁いた。
「よし!行くぞ」オリオンが叫んだ。一列になり、一人一人穴を潜った。「地中海だ!」誰もが、心で叫んだ。
しかし、オリオンは止まらず進んだ。ようやく、オリオンは止まるように合図を送ると、みんなの顔には安堵の表情が表れた。
「ミラはどこにいる?」オリオンは、ペルセウスに聞いた。
「大きな島で待っているように言っています」ペルセウスは、自分に与えられた仕事をしたという達成感が顔に溢れていた。
「カモメが情報を集めていますので、すぐに行ってきます」ペルセウスは海面に向かった。
しばらくして帰ってきた。「このまままっすぐ行ったところにある島にいるそうです。
ものすごい数のグンカンやヘリコプターが出口に向かっています。それから、センスイカンにも会いました。
また、2羽のカモメが、シーラじいさんを案内するために飛んでいったということです」
ここまでは、すべてが順調にいっているようだ。後はシーラじいさんの無事を祈るだけだ。
オリオンたちは島に向かった。やがて、遠くに島が見えるようになった。
南側の海底をめざした。しかし、ミラはいなかったが、すぐに会えることはわかっていた。ミラのことだから、あたりの様子を調べているのだろう。
案の定、大きな波を感じた。ミラにちがいない。しばらく待っていると、波はさらに強くなった。
「ミラ、ありがとう。きみのお陰で助かった」オリオンが言った。
「いや、ペルセウスの作戦勝ちですよ」ミラは照れたように答えた。
「そうだった。ペルセウスに、まだお礼を言っていなかった」オリオンは大きな声で言った。
「そんなことはどうでもいいですよ。これからがたいへんなんだから」ペルセウスも真面目な顔で答えた。
「そうですよ。ところで、リゲル、けがは大丈夫か?」ミラは話題を変えた。
「ああ、みんなに助けてもらったので、1人で上に行けるようになった。ベラには、重い目をさせてしまった」ベラはうなずくだけだった。
「そして、この2人にも」リゲルは、「安全な海」から来たシャチの兄弟を紹介した。
「聞いていますよ。きみらが来てくれたので、心強いです」
「できることは何でもします」
「お願いします。今のところ、この付近には変わったことはないようです」
「でも、クラーケンたちは、紅海を上がってきているそうだ」
「シーラじいさんが来るまで、しばらく休もう」
翌日の夕方、シーラじいさんが着いた。何事もなかったことに、みんなほっとした。
「スエズ運河を越すとき、上のほうで機雷が爆発したようじゃった」
「もうクラーケンたちが来たかもしれないのですね」オリオンが言った。
「危機一髪のところだったのだな」リゲルも安心したように言った。
「シーラじいさん、急ぎましょう」オリオンがまた言った。
「今の状況から判断して、しばらくはここにいて、クラーケンたちをやりすごしたほうがいい」
「でも、早く手紙を渡せば、早く海底のニンゲンを助けることができるのではないでしょうか」
「そして、こんな争いも早く終わらせることができる」
「おまえたちの気持ちはわかる。しかし、ここからは、ヨーロッパといって、文明の中心の国が続く。ニンゲンとしては、ここを絶対に死守しなければならない。
わしらの行く手には、すでに警戒網が張りめぐらされているはずじゃ。それは、今までの比ではないじゃろ。
地中海は、内海であるが大きな海じゃから、隠れる場所もあるので、今は、ここでじっと待つことじゃ」みんな黙ったままだった。
そのとき、ペルセウスが、カモメの報告を持ちかえった。「出口付近では、爆発がたえず起こり、クラーケンたちは、粉々に飛びちっています。それでも、地中海に押しよせているものがいるそうです」
海底にいても、何かが起きているのが感じられた。海が動いているのだ。
そこで、海面に上がらなければならないときは、沖まで行くことにした。
顔だけを出して様子を窺うと、遠くでヘリコプターが飛びかっているのが見えた。
今、攻防の真っ只中なのだろう。オリオンは、やはりここでじっとしているほうがよかったのかしれないと思った。
シーラじいさんは、「漁夫の利」というニンゲンの知恵を話してくれた。非力なものも、冷静に状況を見れば、力があるものを出しぬくことができるという意味に取るのだとも言った。
そうだ。見ることだ。今まで見たことがないものであっても、見て、見て、身まくれば、必ずその姿を表すだろう。

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