シーラじいさん見聞録

   

多田さんや五十嵐さんが、身を乗りだしたのがわかった。
「わたしたちも、気になって、深海図鑑を見ていたのですが、載ってないのです。エイに似ていますが、ずっと仰向けになっているので、ちがうような気がするのです」
「そうか」
「シーラじいさんは知らないんですか」
「わしも、今まで見たことがない。ところで、小林君、わしも、『年貢の納め時』らしい。『まぐまぐ』とやらの読者がいなくなる前に、もっとほかの事を書いたらどうだ。
日本から、ここまで来るのに費用もたいへんだろう」
シーラじいさんは、気弱になっていた。
慰める言葉を探している間に、そのものは、シーラじいさんのために、食料を運んできた。
礼を言うシーラさんに、「お互いさまじゃ。『情けは、人のためならず』というではないか」
と言った後、また砂嵐を立てながら仰向けになった。
空腹を感じなかったが、少しずつ食べた。そのためか、2,3日過ぎると、体に力がもどってくるのがわかった。
そろそろ国をめざそうかと考えているとき、海底が激しく揺れだした。
シーラじいさんは身構えた。
しかし、これは、何回も経験したことがあるので、じっとしていた。
国では、地下にいる何かが、体を動かすので、地面が揺れるのだと思われていた。
国は、大きな岩に囲まれているので、小さな岩が倒れることがあっても、しばらくすれば、また何事もなかったように静かになった。
ここでも、そうだろうと思っていると、案の定、数分で揺れはおさまった。
しかし、何か音がしているような気がした。
何か重そうなものが、暗黒の中を落ちてきて、何かにぶつかっているようなのだ。
それが、何回も続いた。
自分は、気を失って、かなり落ちてきたようだ。ひょっとして、地下にいる何かより下にいて、それが、今、上で動いているのかもしれないと不安になってきた。
かなり静かになったが、ときおり、100気圧以上の水圧を押しわけて、何かが落ちてくる気配が伝わってきた。
そのとき、シーラじいさんとわたしたちの後ろに、「それ」がふいに落ちてきた。
しかも、「それ」が、次から次へと続いて落ちてきたのがわかったので、わたしたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げた。わたしたちも、海底を揺るがしたのは、そこに住む魔物のように思っていたからだ。
わたしたちは、遠くまで逃げて、岩陰から、「それ」を見た。しかし、真っ暗なので、よく見えないので、おそるおそる近づいていった。
「それ」は、どうやら10個近くあって、重なっているのもあった。しかもじっとしていた。心臓が破裂しそうなほど脈打っていた。誰かが、「これは石だ」と叫んだ。
「それ」は、1メートルから2メートルぐらいの石だった。
今の地震でトラフの石が崩れてきたのだろう。トラフは、舟状海盆といって、細長い溝になっている場所だ。
その下では、地殻や海底を支えているプレートとプレートがぶつかりあっているので、地震は頻繁に起きているのだ。
シーラじいさんも、わたしたちの後から逃げてきたようだが、こんなことははじめてだったようで、ひじょうに驚いたようだった。
落ちてきた石のまわりでは、小さな影が動いていたが、混乱している様子だった。
今までより大きな地震だったのだろう。
そのとき、妙な影があらわれた。すぐに「ヌタウナギが来ている」とか「ダイオウグソクムシだ」という声が聞こえた。
ヌタウナギ!シーラじいさんより古くから海にいて、目は退化しており、骨もほとんどなく、歯のついた舌で、肉を削りとって食べるのだ。
そしてサメなどの敵が来ると、ヌタという粘液で身を守るのだ。確かに灰色がかったウナギのようなものが5,6匹、石の近くを泳いでいた。
また、30センチぐらいはあるムカデのようなものも続々と集まってきていた。あれが、ダイオウグソクムシなのだろう。
どちらも、死骸のにおいを察知することができるのだろう。ということは、落ちてきた石の下敷きになった者が大勢いるのだろうか。
シーラじいさんは、この惨状から早く逃げたかった。すると、命を救ってくれたエイの仙人を思いだした。
「そうだ。わしを助けくれたのに、すっかり忘れていた。大丈夫だったろうか。
わしに食料をもってきてくれた後、『元気になったら、大いに語ろうじゃないか』といって、また仰向けに砂にもぐっていったまではおぼえているが」
シーラじいさんは、また自分がいた場所までもどり、エイの仙人がいた砂地を探したが、誰もいる様子はなかった。
しばらくすると、大勢の魚が集まってきた。
この惨状を聞きつけて、仲間の安否を心配しに来たのだろうか。
何匹かのエイも、マントを広げたように、シーラじいさんの上を泳いでいた。
仙人の仲間であろうか。
シーラじいさんも、仙人を探しつづけた。やはり、石の近くには、かなり魚が死んでいて、ヌタウナギやダイオウグソクムシだけでなく、小型のサメも、われがちにそれらにたかっていた。
シーラじいさんは、心配になってきた。わしのせいで、こんなことになったのかとさえ思った。
そのとき、「おじいさんがいた」という大きな声が聞こえた。
シーラじいさんは、その声のほうへ急いだ。すると、仲間のエイだけでなく、大勢の魚も集まっていた。
大きな石の横の砂地に仙人は仰向けに横たわっていた。腹にある7対ある鰓(えら)は、かすかに動いていた。生きているらしい。しかし、尾のほうが石に挟まれて身動きが取れなくなっていた。
仲間や魚たちは、大声を出して、仙人を励ましたり、自分の意見を言ったりしていたが、シーラじいさんは、これでは助からないだろうと思った。
そこで、その場を離れた。2メートル近い石は、とても動かせそうになかった。
石の裏手にまわってみた。海底は砂地ではなく小石を敷きつめたようになっていた。
しかし、かなり下りになっていた。
シーラじいさんは、何かを思いついたように、すぐにみんながいるところへもどり、「みんな聞いてくれ」と叫んだ。
みんな振りむいた。「わしは、ここの住民ではないが、この仙人に命を救われた。
わしは、どうしてもお返しをしたい。今、石の後ろ側を見たが、底は下りになっている。そこを掘ったら、石は、反対側に転がっていって、仙人を助けることができるかもしれない。
みんなで力を合わせて、掘ってくれないか」
すると、「やろう」、「やろう」という声が上がった。

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