のほほん丸の冒険 第1章31~35
のほほん丸の冒険
第1章31
二人の若い男はぼくの顔をじっと見て、「女の人はきみの知り合いだったのか」と聞いた。
「いえ。初めて見る人です」
「そうか。きみがその女の人を心配する気持ちは分からんでもないが、おれたちのバッグを盗んだんだ」
「それはよくわかりません」ぼくははねつけた。
若い男は、うーんと唸ったままぼくを見た。
二人の困った顔を見ると、こいつらは次何を聞きたいのか考える余裕が出てきた。
案の定、「警察に届けたと言っていたが、そのとき『預かり証』をもらっただろう」と来た。
「もらいました。リュックにある財布の中に入れています」
別の男がすぐに出て言った。5,6分たって戻ってきて、「どこにもない」と言った。
「えっ。ほんとですか。おかしいなあ。一番大事なものですから気をつけていたのですが。ひょっとして家に置いてきてしまったかも知れません。
おじさんが医者に電話してくれと言ったのでそのままにしていたかもしれません。なんなら、今からおじさんに電話してきてみましょうか」と答えた。
「それは後でいいよ。しかし、おじさんの調子が悪いのによく東京に来れたな」
「おじさんは行ってきてもいいぞと言ってくれたので。ぼくがバッグことを気にしているのを知っていましたから」言いわけをしすぎたかどうか軽い咳払いをして二人をちらっと見た。まるっきり疑っているようではないが、まだ分からない。
何か拾って届けても、3か月間落とし主が出てこないと拾い主のものになることは調べていた。
男たちもそれは知っているだろう。届けた日を計算に入れたら、後2か月はどうすることもできないと考えているはずだ。ぼくの話を信じたらのことだけど。
ぼくとしては、この2か月の間に女の人を見つけなければならない。
二人の男は、「少し休憩しよう」と言って出ていった。ぼくは6畳ぐらいの部屋を見回した。これといったものがないので広く感じる。
三人がすわった小さな椅子三つと小さなテーブル。空っぽの小さな本棚。壁に立てかけてある簡易ベッドしかないのだ。窓はない。
そんなことはないだろうが、ここにずっといなければならないのなら頭がおかしくなるかもしれない。
そして、監視カメラをそれとなく調べたが、どこにもないようだ。少しほっとした。
ドアが開いた。二人が入ってきた。若い男が、「タカシ君」と呼んだ。
ようやく名前を呼んだ。ぼくは施設で仲がよかった「丸山隆」の名前を借りてリュックに書いていたのに、さっきは呼ばなかったので、どうしてだろうと思っていたのだ。名前で呼ぶと何かの感情が入るとでも考えたのかもしれない。
「はい」ぼくは、タカシと呼ばれる練習を繰りかえしていたので、自然に答えることができた。
「東京に戻ってきてからどこに泊まったんだい」と聞いてきた。
「はい。ホテルは子供だけなら断られますので、公園で休んでいました。朝は駅に行きました」
「10日前はどこにいた」
来た来た。ぼくは、「まだ長野にいました。学校にはあまり行かなかったですけど、仲のいい友だちがいたので遊んでいました」
思わずここで、「何かありましたか」と言いそうになったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。男たちはしゃかりき丸がどうして逃げたかが頭から離れないはずだから、そんなことを聞けばぼくを疑うのは決まっているからだ。
のほほん丸の冒険
第1章32
「そうか」若い男は小さな声で言った。男が聞いたことにはアリバイを言うことができた。しかし、あまりにもアリバイがあるので逆におかしいと思わないだろうか。
実際、ぼくが通っていると言った小学校に問い合わせしたらどうなるのか心配になった。
しかし、すぐに第三者が電話などで学校に問い合わせをしても、今は犯罪を防ぐために答えないようにしていると聞いたことがある。
それなら安心だが、あまり調子に乗らないようにしなければならない。ぼくは、どうしたらいいのか困っている若い男を見ながらそう思った。
若い男が差し入れしてくれた本が数冊あったので、その中の理科の実験の本を読みはじめた。
しばらくすると、「ゆっくりしていて」と言って男が出ていった。
ぼくはまた部屋に中をそれとなく見回した。やはり特別な装置などはないようだ。
すると、隣の部屋らしき場所からガタガタという音がしてきた。何か家具を動かしているような音だ。すると隣の部屋に若い男がいるのか。
もし複数の人間がいれば話し声が聞こえるかもしれないが、一人しかいないようだ。うまくいけば何を話しているのか聞くことができる。ようやく攻撃する糸口を見つけたような気がした。
しかし、それからはどんな物事もきこえない。ぼくも実験の勉強を続けた。
夕方になって、ドアが開いて、同じ男が入ってきた。トレイにサンドイッチとジュースやバナナが乗っている。
「これは晩ご飯だ。トイレに行きたくなったら、受話器を取ってくれ。誰かがビルのトイレに案内する。
しばらく不便だがよろしくな。寝るときはこのベッドを使うんだ。毛布は後でもってくるから」と言って、また出ていった。
ぼくはサンドイッチを食べながら、しばらくこういう生活になるだろうが、絶対後悔しないことと自分に言った。パパは、この道を行こうと決めたら、その道がまちがっていても、何か得るものがあるからと言っていた。
翌日も朝食を持ってきた。それに追加の本も5,6冊あった。それらをポンとテーブルに置いて出ていくのだ。
3日もたつと、読書量はどんどん増えていった。今まで読んだ量をこの3日で読んだことになるかもしれない。食事ごとに本を持ってくるし、読書以外に時間をつぶすことがないからだ。
しかし、あきてきた。それで、「おじさんに電話をかけて、『預かり証』を置いていないか聞きましょうか」と聞いてやった。
若い男は驚いて、「あっ。そうだな。でも、今はいいよ。その時は頼むよ」と答えた。
今おじさんの家にあることが分かってもどうしようもないのだろう。拾い主であるぼくがバッグをもらえるようになったときに確認させればいいと判断したのだ。
今連絡させれば、おじさんが、「不審な電話があった」と警察に言うかもしれないし、そうなれば、ぼくの身に何かあったと捜査するかもしれないと警戒しているのか。
そうか。この状況を打ち破るには、相手の動きに合わすのではなく、こちらから仕掛けていけばいいのだ。
ただし、雑談などをするのではなく、男たちのことや組織について分かるようなことを聞くようにしなければならない。
それで、「みんなはここで寝泊まりしているのですか」と聞くと、「いや。担当がいるんだ。今は忙しいのでおれ一人だけど」と答えたが、すぐにまずいことを言ったかもしれないという顔をした。そうだ、この調子だ。
質問責めにすることはまた疑われるかもしれないから、相手の顔色を見て質問した。
それで、ぼくがいるビルは、以前はみんないたが、何らかの理由で他の場所に移ったらしい。
しかし、この組織がどういうものかとかあのバッグがどこで盗まれたのかとか、もちろん何が入っていたかなどはまったく分からない。これらは次の課題だ。
のほほん丸の冒険
第1章33
ただ窓もない狭い部屋に閉じ込められているので、何もしないと何も分からない。
カバンのことなどを聞き出そうとする若い男に何か聞いても当たりさわりのないことしか言わない。それこそぼくのまわりには高い壁があるだけだ。
数日は何もなかった。若い男が持ってくる食事を食べ、ときおり差し入れしてくれる本を読む生活が続いた。
男は、食事を持ってきたときなどに、すでに聞いたことを聞くことがあるが、ぼくは女の人からバックを預かった日からのことをすべて作りあげているので、何回聞かれても同じように答えることができた。
多分ぼくが嘘をついているのではないかと疑ってそうするのだろう。最近はそれも聞かなくなってきたが、逆に男との会話から情報を得る機会が少なくなってきたことになる。
今度同じように聞かれたら、前とちがう内容を話したほうがおもしろいかもしれない。
「前はそんなこと言っていなかったじゃないか」などと言いだすと、「そうでしたか。ちょっと思いだします」と答えるのだ。そこで、新しいことを言うとまた、話に乗ってくるだろう。餌をまいて新しい情報を集めるのだ。
しかし、あまりそれをすると、ぼくの話すべてを疑ってくるかもしれない恐れがある。「やぶへび」は避けなければならない。
ぼくは別の作戦をはじめた。ある日、男が夕食を持ってきたが、ぼくはそれに手をつけなかった。1時間後プレートを取りに来たとき、プレートは手つかずなのに気づいて、「どうした」と聞いた。
「いや。食欲がありません。それに、心臓がおかしいし、頭も痛いんです。どうしたらいいですか」とかぼそい声で聞いた。
男は心配そうにぼくを見てから、手首で脈を測ったり額に手を当てたりした。「別に異常はないようだけど、一度医者に診てもらったほうがいいか。おれ一人では決められないので聞いておく。
飯(めし)を置いておく。食べたくなったら食べろ。腹がいっぱいになったら、気が晴れるかもしれないからな」と言って出ていった。
ぼくは、とりあえずうまくいったと思った。男が持ってきた健康の本に運動不足のことが書いてあったので、それを使ったのだ。
お腹がすいて仕方がなかったが我慢した。作戦を遂行しなければならないのだ。翌日の朝、男が来たが、プレートはそのままなので、「調子は悪いか」と聞いた。
ぼくは、男が来る前に目をこすって赤くしていたので、目を見せながら、「はい。それに、よく眠れませんでした」と答えた。
男は、「待ってろよ」と言って出ていった。ぼくに何かあれば、バッグを取りもどせないにから慌てているのだろうと思った。
そして、息を止めたり額を叩いたりして、脈が早く、熱が上がるようにして男を待った。
男はドアを開けて、「今から医者に行こう」と言った。ぼくはふらふらと男についていった。
3階分ぐらいの階段を下りたので、地下に駐車場があるのかもしれない。そして車に乗った。車は大きなライトバンで窓にはブラインドがあり、また運転席のほうも見えないようになっていた。
今どこを走っているのか見たかったが、それもできないほど固く閉じられていた。
30分ほどして、どこかに着いた。ぼくはまた手を固く握ったり、息を止めたりして男についていった。
それから、小さな部屋が両脇に続いている場所に行った。しばらく行くとある部屋で止まった。そして、ノックをして、「先生。連れてきました」と男は声をかけた。ドアが開くと、目つきの悪い中年の男がこちらを見ていた。
のほほん丸の冒険
第1章34
最初その目つきにどぎまぎしたが、白衣を着ているので医者らしかった。
壁に向かった机にすわっていた。横に患者がすわるいすがあった。部屋は殺風景で、手前に小さな応接セットと奥に本棚があるだけだった。看護師などもいなかった。
こんな病院は見たことない。あやしい空気が流れていた。若い男は、「昨日話した子供です」と言って、ぼくをいすにすわらせた。
医者はしばらくぼくを見ていたが、「丸山隆君かね」と聞いた。声は案外やさしそうだ。
しかし、受け答えには気をつけなければならない。車の中で若い男に、「きみのことはこちらで説明しているから、症状だけを説明してくれ」と注意されていたので、「はい」とだけ答えて、次を待った。
「どんな様子だい」と聞いてきたので、「食欲がなくて、よく眠れません」と答えた。若い男が持ってきた病気の本に書いてあるように話した。
医者は、しばらく聴診器をぼくの胸に当てたり、脈を測ったりした。
それから、目の前にあるパソコンに打ち込んでから、立って後ろにいる若い男のそばに行った。
ぼくはふりかえることなく、背中で聞いていた。多分医者もぼくに背中を向けているようで、何を言っているかよくわからなかった。
しばらくして、「分かりました。ありがとうございます」と若い男の声が聞こえた。
医者も戻ってきて、「今後のことは説明しておいたから、今日はこれでいいよ」と言った。
ぼくは立ち上がって、男の後をついていった。車の中で、男は、「もう少し通院しなければならないようだ。とにかくしばらく今の生活に慣れるようにしてくれ」と言った。
ぼくは返事をしなかったが、あと一月ぐらいで、落とし主があらわれなかったら、あのバッグは、拾い主であるぼくのものになることを言っているのだろう。
そして、ぼくを監禁している間に、あの女の人とぼくが知りあいかどうか、ビルから逃げた子供は誰か、そして、助けたのは誰かなどを聞き出そうとしているのだ。
その夜から、うつ病患者になるために本格的な演技をはじめた。まず男が持ってくるプレートの食べものを残すことにした。お腹がすくのは辛いが仕方がない。病人になるための必須条件だ。
少し肌寒くなってきたが、男が待ってきたパジャマは着ないで寝た。風邪でも引けばさらに病人に見えるはずだ。これはかなり効果が出てきたようで、自分で体力がなくなってきているのが分かった。
若い男は、ぼくの顔を見るたびに、「大丈夫か」と心配してくれた。ぼくに何かあれば自分の責任になるかもしれないようで、パンやチョコレートなどを食事といっしょに持ってきて、「おやつは食べたほうがいいよ」と言った。
1週間後にも病院に行ったが、ぼくの体調はさらに悪くなっているようで、医者はぼくには何も言わずに若い男と話していた。
車の中で、男は「薬が出たから朝晩飲んでくれ。ほしものがあれば言ってくれたら用意するよ」と言った。
ぼくは、「ありがとうございます」と言ってから、「少しカーテンを開けてくれませんか」と頼んだ。
男は少し躊躇したが、これで気晴らしができたら思ったかぼくがすわっていた左側後部のカーテンをスイッチで開けてくれた。
ここはどこかわからないかとさりげなく外を見ていると、4,5人の子供が話をしていた。
ちょうど赤信号だったので、そこに目を向けると、一人と目が合った。ぼくは座席から落ちそうなぐらいびっくりした。それはしゃかりき丸だったのだ。
まさかと思ってもう一度見たが、車は走りだした。しかし、まちがいない。しゃかりき丸がぼくを探していたのだ。
のほほん丸の冒険
第1章35
心臓が激しく動いている。男に音が聞こえるのではないかと思えるほどだ。
これはこれでぼくの体調が尋常じゃないと思わせることができるかもしれないが、自分を落ち着かせようとじっと前を見た。男はぼくが落ち着いたようだと考えてカーテンを閉めた。
ビルに着くと、すぐに部屋に向かった。そして、ぼくと目が合ったのはしゃかりき丸だったかどうか思いだした。
しゃかりき丸がぼくを見て驚いた表情をしなかったがそれは当然だ。しゃかりき丸がここにいるということはぼくがこのビルにいることは分かっているからだし、喜んだような表情をしたら、男はそれを見て、自分たちが監禁した子供だと分かってしまうかもしれない。
やつらが、それでなくともせっかく監禁したのに逃げてしまったことに神経質になっているのはぼくに対する質問でもわかる。
結論として、さっき会った少年はどう考えてもしゃかりき丸に違いないし、相当作戦を考えているようだ。
それにしても、ぼくもよくあそこでカーテンを開けてほしいと頼んだものだと思った。偶然ではあるが、そこにはぼくとしゃかりき丸の強い気持ちがあるように思えた。いや、強い気持ちが偶然を呼ぶのだ。
そして、翌日これが証明された。朝若い男が朝食を持ってきたとき、新宿駅でぼくを捕まえた3人組の一人である少し年長の男が、ぼくの部屋に来て、若い男に、「ボスから電話だ。女のことで聞きたいそうだ」と言った。
二人はすぐに出て言ったが、ぼくは「女のこと」という言葉を聞きのがさなかった。
その「女」とはぼくにバッグを預けた女の人のことか。それはどうか分からないが、ぼくの部屋まで来て、思わず「女」と言ってしまったのはやつらにとって重要な「女」であるに違いない。
この出来事も偶然だろうが、それがぼくを奮い立たせた。つまり面白くなってきたということだ。
男が言っていた「女」は誰かだけでなく、このビルのどこかにいるのか、または別の場所にいるのか、これらの疑問を解くためにどうするべきか。
幸い病院にはまだ通院するようだし、しゃかりき丸も近くにいてくれる。後は二つのことをどう結びつけるかだ。
もう同じ場所でカーテンや窓を開けてくれとは言えない。どうしたらいいのか。ぼくはずっと考えた。そして、その方法を見つけたのだ。
それは、大人の人は知っているが、「あぶりだし」という遊びを使うのだ。
ある施設にいたとき、昔の遊びを教えに来ていたおじいさんに聞いたものだ。ミカンの果汁で紙に字などを書き、乾いた後それを熱すると、それが浮かびあがってくる昔から伝わる遊びだ。
「あぶりだし」をみんなでしたとき、おじいさんは、「これは忍者やスパイも使った方法だ」と言っていたのを思いだした。
若い男が持ってくる食事には、ときどきミカンがデザートとして添えられている。紙は、差し入れの本を少し破ればいいのだ。ペンは取り上げられているが、箸(はし)を加工すればいいのだ。
三日後ミカンが来た。食事は病人でいるために半分程度にしているが、ミカンは皮をむいて隠した。それから、割り箸を半分に折って、半分を箸入れに入れ、残りの半分は隠した。
男がプレートを持って帰ったので早速仕事に取りかかった。数冊の本があったが、一番厚い紙でできている数学の本を開き、裏表とも字がない部分を破った。割り箸はテーブルの足に置き、思いっきり力を加えた。先のほうが割れたので、そこを加工して筆のようにした。
準備はできた。ぼくは力を込めて、「女はこのビルにいるか」と書いた。
これが分かれば次の行動が決まってくるからだ。