感情失禁(2)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「感情失禁」(2)
前回は、人間は、大人になるにつれ、ウソや「べんちゃら」を覚えていくけど、自分を動かす「命の源」は、ウソも「べんちゃら」もないゆうた。
その例として、今「塀」の中にいる「手鏡教授」のことを説明した。年収5000万円を棒に振ってでも、制服の女子高校生、いや、女子高校生の制服を見ると、矢も立てもたまらんようになる性格に殉ずる教授や。
道徳や法律どころか、世間体さえ打ち破る「生命力」を持っている(ほんまか!)。
とにかく、人は、自分のことを、あんまり出さんようせえとゆわれて大きくなる。ぼくのように、感情が、すぐに顔に出てしまうのは、一人前として認めてもらわれへん。
せやから、大人、特に親が泣くところはあんまり見いへん。ほとんどの子供が、甲子園で優勝することもないから、親が、ようやったと泣くこともないやろ。
せいぜい、結婚式の花束贈呈ぐらいや。
ところが、いつのまにか、「あれ」を失禁するのと同じように、感情を失禁するようになる。
ぼくらの親の世代は、ほとんど病気なので、病院のベッドで、よう泣く。ついでに、「こんなとこ出たる」ゆうて怒る。手を合わせて、喜びをあらわすときもある。感情を抑えるもんがゆるくなるんやな。
ぼくも、この2,3年、よう泣くようになった。
大体、誰かが誰かに優しい言葉やしぐさをかけているのを見ると泣けてくるようや(どちらも、ぼくに関係ない人でも)。
今年母親が死んで、今は、入院している父親を見舞っているけど、隣のベッドのおじいさんに、ときどき、ぼくぐらいの年の息子らしき人が来て、両手を握り、顔をつけて、何かささやいているのを見ると、その場で泣いてしまう。
「自分も毎日病院に行っているくせに」と笑われるけど、止められへん。
テレビ東京系列(テレビ大阪)の「いい旅・夢気分」ゆう番組があるやろ。テレビでは、あれが一番好きやけど、タレントの家族、夫婦、友だち同士などが、あちこちの温泉をめぐる旅番組や(通販番組といっしょで、最近、時間がよう取れるタレントが多い)。見栄晴(みえはる)や志村けんなどの、いつまでも結婚せえへんのが、母親といっしょに出ることもある(おまえら、ほかにすることがあるやろと思うけど)。
あるとき、あるタレントの家族が出たことがあった。旅館での食事で、20代の息子が、「まあ、お父さんからどうぞ」と、ビールをついだ。それが自然な振る舞いで、ぼくは大泣きや。何で泣くかが、その人の抱えているものをあらわしているのやろか。
どうやら、4年前に、事業が頓挫したときの出来事が関係しているようやな。2000人近い社員を抱えていたから、裏切ったり、裏切られたりと、ようある話やけど。なんで、こんなことまで知っているねんゆう怪文書が来る、来る。
へそ曲がりや、人の悪口をようゆうてきたし、人を追いこむ性格やから、今のことは自業自得や思うているけど、自分のなかに、そうでもないもんもあることがわかった(気が弱いことは、前から知っているでゆう声もあるけど)。そこに、4人の子どもへの思いがあるんやろな。
ぼくの父親は、母親を怒鳴りまくり、物をぶつけてきた人生を送ってきたけど、外面(そとづら)がええから、看護師の受けがええ。ぼくには、それがないから、泣くことだけでなく、「喜怒哀楽」の喜・楽をうまいこと失禁するようにせんとあかん。老後も、頭使わんとな。