カタカナ(2)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

「カタカナ」(2)
レーガン大統領は、大統領になったとき、日本では、「リーガン」やったけど、すぐに「レーガン」になった。
「アタッシェケース」も、長い間「アタッシュケース」やったな。「キューピッド」は、あいかわらず「キューピット」のままや。逆に大江健三郎は、若い頃は、「テレビジョン」と書いていたけど、「テレヴィ」となって、今は「テレビ」や。
ある翻訳者は、アメリカの小説を訳すとき、「テイッシュ」ゆうもんを見たことないから、どう訳したらええのかわからんかったと書いていた。それから、「ハリウッド」やけど、
昔「聖林」と訳していたけど、ほんまは「holly」(ひいらぎ)や。「holy」とまちがっていたんやな。
そんなん日本中なんぼでもある。ぼくのおばちゃんは、「あそこの子は、大阪のマンホールに住んでいるんやて」とゆうとった。「そりゃ、マンションや」と突っこんでいたけど、今でも、誤解はある。「スイート」ルームは、「甘く」ないし、「フリー」マーケットも、「自由」でもない。「シミュレーション」も、ついこの前まで、新聞でも、「シュミレーション」と書いていた。ここだけの話やけど、ぼくも、スターバックスで、「ラテ」を「テラちょうだい」ゆうて、変な顔されたことがある。「イタリア語やもん」と自分を慰めていたけど、かなり傷ついたわ。個人も、社会も、カタカナに対して、苦い歴史を持っている。
最近も、「コンプライアンス」、「トレーサビリティー」ときたで。使うもんは、その理論が、日本にないからやゆうているけど、ちがう、ちがう。役人は、日本語にした場合、突っ込まれるかもわからんし、何より、日本人全体の「自分の国語にたいする意識」の表われや。もともと日本語は、中国などから来た言葉を取りいれてできたやろ。外国語を入れることが、日本人の「アイデンティティー」や(思いっきり使うたった)。戦争に負けたからなどではない。とにかく、日本では、車や機械がどんどんできるけど、もう日本語は生まれへんゆうことやな。
フランスは、「テレビ」とゆう英語を禁じた。中国は、外国語を中国語に変える。インターネットは「国際互連網」、電子メールは「電子郵逓」、そして、ハッカーは「黒客」やて。
カタカナを使うのは、日本人の習い性ではあるけれど、国債の発行みたいに、とりあえず今楽できたら、後はなんとかなるやろ、ひょっとしていつのまにか英語をしゃべるようになるかもわからんと思うてるんやろか。
とにかく、カタカナが、どんどん入ってくるのは、「さかずき」でワインを飲むような気がするときがある(ワイン好きほど、カタカナを使うようやけど)。
そういえば、昔から、言葉には、「言霊」(ことだま)があるとゆわれているけど、カタカナが多いと、神さんも居心地が悪くなって、どこかへ出ていってしまわへんやろか。
それでも、ハッピーならええけど。

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