シーラじいさん見聞録
オリオンの表情が変わった。
婆あの話が長くなると考えたのだろうか、年配の弟子が詰め所を出ると他の弟子も続いた。
そして、少し頭を出し警戒態勢に入った。
婆あはしわがれ声を細めてしゃべりはじめた。
「最近、ボスが心配して、このあたりの様子を見回っているのは知っていた。わしらも、以前よりここへ来ていたからな。
ボスはやさしいので、わしらを見ると、声をかけてくれたものじゃ。
『婆あも心配してくれているのか?』ってな。もちろん、わしらが吹っとばされないように遠くからな。
わしは答えたもんじゃ。『わしらが心配しても何の役に立たんけどな』
『いやいや、そんなことはない。ただ体が大きいというだけはどうにもならんことがいっぱいある。確かに遠くまでいけるが、見落とすことも山ほどあるから。
おまえさんたちは、まばたき一つも見逃さない。殊にやつらはどこから来て、どこへ行くのか。はたまた、何がしたいのかさっぱりわからないので、おまえさんたちの助けが必要じゃ。今後もよろしく頼む』と頭を下げてくれたぞ。
それで、体も頭も前のように動かなくなっているが、これが命取りになってもかまわんと思って、秘伝の感知術であたりの様子をさぐっていると、前に言ったように、どうもおかしなことに気づいたというわけじゃ。
その後、ボスは、自分の息子を連れてくるようになった。
息子は前に見たときと比べて、見ちがえるほど大きくなっていた。
ボスは結婚が遅かった上に、上の子三人は女の子じゃから、息子をかわいがっていたな。
わしらは、いよいよ息子に家長教育をはじめたのじゃなと思った。
そして、わしらが感知術をしていると、ここが急に騒がしくなったのがわかったので急いで駆けつけたが、案の定、やつらが来ていたのじゃ。
あわてている見回り人に、ボスはどうしたんじゃと聞いたが、要領をえんので、弟子が中に入ると、そりゃ地獄のような光景じゃった。
やつらに体当たりされて虫の息になった者があちこち浮んでいたそうじゃ。それを聞いて、ボスが間に合わなかったことがわかった。
地獄とはこのことよのう。みんなのためにと、自分を犠牲にしていた者がこんな目に会うとは」婆あは涙声になった。
「新米の見回り人はさぞ恐かったことじゃろ。わしの弟子が一人後れて、ここに向っているとき、おまえと仲がよかった者に会ったそうじゃ」
「第一門に大勢に集っていましたから」オリオンが答えた。
「それが、海の中の海に向かう道の途中でな。弟子が、岩陰に誰かいるのに気づいて、『どうした?みんなを助けにいかないのか?』と声をかけると、その声にびくっとして振りかえり、『今見回りから帰ってきたところなので、どのように助けようか作戦を練っているところです』と答えたそうじゃが、危険な状況になってからは中堅以上じゃしか見回りに出ていないはずだがと思ったが、弟子はそれ以上聞かんかったそうじゃ」
オリオンの頭に黒い影が浮んだが、まさかそこまではしないだろうし、「海の中の海」とはどんなものかはよく知っているはずだ。
オリオンは、黒い影をはねつけた。
ウミヘビの婆あは、少し外を見てから、またしゃべりはじめた。
「ここだけの話、わしは元々神など信じていなかった。
神がいると思わせるほうが、わしらの商売には都合がいいのでな。
しかしながら、おまえを見ていると神を信じるようになった。
ボスに助けられたときから、おまえを知っているが、おまえほど助けてもらっている者はいない。
これは、誰かがおまえを使って、みんなを試しているとしか思えないのじゃ。その誰かを
わしは神と呼ぶことにした」
「今回も、おばあさんに命を助けていただきました」
「いつかはおまえがみんなを助ける番が来る。まあ、今は少し休んでおけ。
わしらはボスを探してくる。ボスは、こんなことになったのをまだ知らないかもしれんからな」そう言うと、婆あは外に出た。弟子たちも、頭を引っこめると後を追った。
婆あたちが消えると、音一つ聞こえなかった。オリオンは、詰め所からゆっくり出た。
高い天井から届く日の光のせいで、『海の中の海』は、いつものように薄い闇に包まれていた。
はるか遠くで、何かがゆっくり動いているような気配があった。まだクラーケンの部下が威嚇しているのだろう。
訓練所や病院、広場のほうに目を向けてみたが、闇と静寂に包まれたままだ。
広場の奥の改革委員会の部屋にはシーラじいさんをはじめ、大勢の者が息をひそめているのだ。
でも、すぐに目をボスが来るだろう。来ないはずがない。そうなれば、クラーケンたちを追いだしてくれる。みんなもそう思っているだろう。
オリオンは、疲れを感じたので、また詰め所に戻って休むことにした。
「おい、オリオン」という声が聞こえた。
「ペリセウス!」オリオンは、そう言うのと同時に目を覚ました。
「婆あの治療はどうだった?」
「お陰で動けるようになったよ」
「よかった。みんな喜ぶと思うぜ。きみが無事なことを知らせたときも大喜びだった」
「そうか。それじゃ、ぼくを連れてかえってくれないか」
「えっ、大丈夫か?」
「大丈夫だ。きみの言うとおりにするから」
「それじゃ、早速帰ろう。でも、気をつけろよ。ぼくが注意して動いても、やつらは気づいているから。
襲ってきたときは、やつらがあきらめるまで、じっと隠れていなければならない。
ここへ来るとき、ぼくのより大きいきみがどこに隠れるか調べてきたから、大丈夫だと思うけど」