チック症

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

チック症(2)
前回、待っててなゆうたけど、あんまり待たれると緊張して、変なチックが出てしまう。面白半分で、「目ぃぱちくり」でも、「クビぐるぐる」でもすると、止まらんようになる。
チックが起きるのは、子供のとき、愛情不足やったからと短絡的に言われるけど、ぼくも、そう思てた。
40過ぎのとき、そんなことを話していたら、「おかあさんがかわいそうよ」とゆわれた。
ぼくの場合は、母親が、ぼくが生まれてから、長いこと入院してた(多分、結核やろ。みんな隠してたけど)。
だから、母親が、7,8年後に、家に帰ってきても、祖母が、ぼくを、独り占めするから、母親が、精神的に近づけへん。子供心で、嫁姑の間で苦労したんやな。
3、4歳のとき、どこかのプラットホームで、誰かに、「あそこに、おかあちゃんがいるで」ゆわれて、白いサンダルを履いて、一生懸命走っていったんを覚えている。これが、この世での最初の記憶や。
要するに、チックになるのは、愛情不足ゆうより、「こうしたいけど、でけへん」ゆう気持ちの表れやろ。その緊張を、うまいこと処理でけへんから、体に出てしまうと思う。
その後、ぼくも、「チックの道」(?)を進んだけど、小額低学年のときは、ご飯を食べている時、天井をにらむのんがでたから、父親は、えらい怒っとった。
チックをしてるもんは、周りのもんは、気づいてへん、あるいは、気づいてても、気にしてへんと思うもんや。
親としては、そんなに怒らんでも、「普通、ご飯を食べるときは、食卓を見る。せやけど、天井をにらむのは、なんかあるな」と考えるべきや。それが、親やまわりのもんの仕事やろ。そうすれば、情緒不安定にならんと、うまいこと育つと思うけどな。
桂枝雀は、最後まで、精神的に悩んでいた。「自分は、こっちへ行きたいのに、レールのポイントが変わって、ほんまの自分は、電車に乗って、向こうへ行きますのや。それを、私は、見ているんですわ」と、枝雀らしいことをゆうてる。
それは、チックをやめようと思うけど、やめられへんときの心理といっしょやな。
とにかく、チックは、石原慎太郎やビートたけしを見ても分かるように、そう簡単になくならへん。大人になっても、何かのときに、出てくる。
だから、そう気にせんと、チックが出てきたら、自分の心がパニックを起こしてると分かるから、便利やぐらいに思うてたら楽や。
それと、自分の感情の爆発が、具体的な形になる前に、チックになって、出てしまうのもええで。たとえば、「なんで、うまいことでけへんのやろ」とか、「みんな笑うてへんやろか」ゆうことが、しこりにならへん。
「ばかとはさみは使いよう」とゆうのが、大人の知恵や。

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