取扱説明書

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「取扱説明書」
今まで使ってきたパソコンが、調子が悪うなったんで、買い替えたんやけど、うれしいのんと、うっとおしいのんの、二つの気持ちがある。
「犬飼うてもええけど、世話するんか。毎日、早う起きて、散歩に連れていくんやで」とゆわれた子供みたいな気分や。
それは、「取扱説明書」(「取説」と略するらしいが)の存在や。
ぼくは、あれを、全部読まんと落ちつかへん性癖がある。
学生のころは、ノイローゼになって、教科書を、目次どころか、印刷会社の住所、ひどいときは、「・・・」の数まで数えんと、気がすまんときがあった。できんくせに、みんなおぼえようとした結果や。
パソコンの本は、20冊以上読んでいるねん。コンピューターの原理、パソコンの構造、インターネットの仕組みも、頭に入っている(学校にも行った)。
せやけど、読まんと、落ちつかへん。パソコン買おうても、本体だけやなく、OS(ウインドウズみたいなやつ)、プリンター、周辺機器(カメラやメモリーなど)にも、「もれなく」ついてくる。そうそう、ウイルス駆除システムにも、ついとる。
読まんでも、そこそこ使えるのに、「取説」があると思うだけで、宿題がたまっていくようで、憂鬱になる。
若いもんには、「ぼくら、ほとんど読みません。分からんかったら、適当にさわったら、なんとかなりますよ」と注意される始末。
一番いらいらするするのは、ケータイの「取説」やな。あんな小さいのに、なんで、4冊も5冊もあんねん。ケータイも変えたいけど、それを考えると、恐ろしくてできへん。前のんも残ったままやし。
この性癖が、ぼくらの世代に多いような気がする。機械に気ぃ悪うする世代や。
前にも書いたけど、アメリカのレストランのおっさんは、「気ぃ悪うする」を通り越して、向っ腹立てて、ピストルで、パソコンを撃った。
ぼくの知ってる人は、「何で、このボタンで、こうゆうことができるんや」と、ノイローゼになった。
ぼくも、腹が立ってくると、「機械を動かすのは、『作動』」やろ。『動作』ゆうな」と、いちゃもんつける。しかも、文章書いてると、「あんさん、前に、こんな文章書かはったな」ゆうて、ちらちら出してくる。また、その書き方おかしいわゆうて、波線をつけやがる。こんな、外人が作ったもん捨てたると思うけど、便利やしなあ。「取説」読んで、「邪魔」をするのを消したろ。
要するに、ぼくらは、過渡期の人間や。父親は、ケータイでかけてくるけど、「電気」がもったいからゆうて、すぐに電源をオフにする。こっちからかけられへん。
「人生の取説」はないと思うて、のんびりいかなしゃあない。

 -