シーラじいさん見聞録

   

あの誠実そうな調査官が立てた波は静まり、穏やかな海が戻っていた。
調査官は、ここをまっすぐ行ったところなどと言っていたが、イルカの特別な能力でしかわからない。
その上、わしらはジャンプして、遠くを見ることができないのだから、ここはあわてないことだと、自分のはやる心を静めた。それで、星が出るまで待つことにした。
それにしても、二人のニンゲンが落ちてきたと言っていたが、ジムはその中にいるのか、あるいは、殺されてどこかに捨てられたのか。
ああ、そうかもしれないな。ジムがいたなら、オリオンはそんなむごい扱いはされなかったはずだ。
ただ、船が持ちあげられて、海に落ちたとき、目の前に高い波が立ったというから、そのときに、3人目のニンゲンが落ちたかもしれないが。
ボートにくくられていたオリオンも、強い衝撃で海に落ちたかもしれない。そのときに、ロープが外れたら助かったのだが。
ようやく海は黄金色に染まり、日は翳りはじめた。
それにつれて、空も群青色になっていった。そして、無数の星が一気に現れた。
オリオン星座はすぐにわかった。その輝きは、オリオンの笑顔のようだった。
「シーラじいさん、ぼくです。心配しないでください。何が起きたかわかりませんでしたが、何とか生きていますから」という声が聞こえた。
「オリオン、待っていろよ。すぐに行くから」
シーラじいさんは泳ぎはじめた。
ときどき星を確認しながら一晩中泳ぎつづけた。まだ朝日が出る前だったが、明るくなったので海面に顔を出した。満天の星は、その光を失いつつあった。
遠くで何か気配を感じた。耳を凝らして、そちらに近づいた。
どうやら、かなり大きなものが動いているようだ。それも、かなりいる。
少し潜って近づいた。下から見上げると、どうやらイルカのようだ。10頭近くいて、すぐ横を潜ったり、海面を泳いだりしていた。
ジャンプをしている者もいる。大きな音ともに落ちても、すぐさま体勢を整えて、海面に戻っている。
どうやらこのあたりボスの攻撃を受けたようだな。
海面に顔を出した。海は虹色に輝いていて、臭気が漂っていた。油だ。船が転覆したとき、油が流出したにちがいない。
あたりを見わたした。そのとき、近くを通ったイルカに見覚えがあった。あの調査官だった。イルカは柔和な顔をしている動物だけれど、その一頭は、特にやさしそうな顔をしていた。
「子供は見つかったかな」と声をかけた。
その調査官は、声に振りむくと、「あなたは」と、油まみれの顔をにこやかにして、シーラじいさんのほうに近づいた。
「どうにか来ることができたのじゃ」
「それはご苦労様です。子供は、他の地区の調査官と一緒に探しているのですが、まだ見つかっていないのです」と悲しそうに言った。
「どうしたんだろう」
「もしものことが起きているなら、早く見つけてやらないと跡形もなくなってしまいますから、私たちも急いでいるのです」
「船は見つかったのか」
「いえ、まだ見つかっていません。多分この下に沈んでいると思われますが。まず子供を探すべきだというのが指令の考えなんです」
「そうか」
「二人のニンゲンは、海にたたきつけられて死にました。それには多くの証言を得ることができました」
シーラじいさんは言葉がなかった。
「ところで、その子供は、どうして船についていったのか教えていただけませんか」
そのイルカは、初めて調査官の任務を仰せつかったと言っていたが、洞察力や機敏さは、その性格も含めて、調査官としての任務にいかんなく発揮されているように思われた。
シーラじいさんは、今までのことを話しはじめた。
調査官は、話の内容を整理するためか、ときおり目をつぶりながら、じっと聞いていた。
話が終ると、おもむろに口を開いた。
「そうでしたか。まだ子供だから、相手を疑うことを知らずに、こういうことになってしまったんですね。
でも、気を悪くなさらないでくださいよ。あなたは、信頼するということはすばらしいことだと教えてくださったのですから。
もう少し調べなければなりませんから、これで失礼します」
調査官は泳ぎさった。
その後姿を見ながら、今すぐにでも死んでしまいたい思いになった。
しかし、耄碌してもおまえは軍人じゃないか。今できることは何だという声が聞こえた。
シーラじいさんは潜った。
だんだん暗くなっていったが、何も見えなかった。とにかく何かにぶつかるまで潜るつもりだった。
自分の国の深さを超えているようで、だんだん息苦しくなってきた。しかし、休まなかった。
ようやく海底にぶつかった。しばらく様子をうかがっていると、規則的な電気信号を感じた。
これは魚が出す信号ではない、どうもニンゲンが作ったような信号だと考え、音が聞える方向へ進んだ。

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