仕掛け
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
仕掛け(2)
おじは、ぼくを見ると、「ほんまに、わしは幸せもんや。サラリーマンより多い年金もらえるし、家を安う貸してもらったし。ほんまありがたいわ」と、挨拶代わりにゆう。
4,5年前、あれているときは、毎晩、焼酎一本を飲んで、家で暴れたり、道端に寝込んだりと、自暴自棄になっていたけど、えらい変わりようや。
ぼくは、その「挨拶」を、何百回と聞いたけど、ほんまにどないなったんやろと思う。
おじのことを考えると、何回も書くけど、桂枝雀を思い出す。
桂枝雀も、自分の性格が、人を笑わす仕事とあってないように思てた。だから、毎日、笑顔を作っていたら、明るい性格になりまっしゃろとゆうとった。
そして、「笑いは、緊張の緩和」と定義したけど、ぼくは、ちょっと無理があるなと思う。落語の分類は、すごいと思うけど。
ところで、「10階のビルから落ちて、まだ7階かと考えるのが、楽天主義で、もう7回かと嘆くのが、楽観主義や」とゆうノーテンキなたとえがあるけど、それでゆうたら、10階のビルが火事になって、火や煙に包まれると、10階にいても、地上が、すぐそこにあるように見えるらしい。だから、「もうすぐや。がんばれ」ゆわれても、飛び降りる人がいる。
人生の困難が降りかかっても、同じ心理が働いて、理性をなくす人がいる。
だから、性格ゆうても、いざゆうときには、役に立たんことがあるように思う。
おじは、財産をすべてなくし、体も、ぼろぼろになったけど、せっかく生きているのやから、楽しく生きんとあかんと思うたんやろな。おじを知ってる人が聞いたら、負けおしみやと感じるやろけど。
おじは、毎日、歩いた歩数を、全部記録しているから、今日、何回、「幸せや」とゆうたか書いていると思うわ。そうやって、毎日、毎日、自分の心を、仕掛けから逃げんようにしているように思える。
ほんま、年がゆくと、家族や親戚だけでなく、社会に対してぶつくさゆうたり、早う死にたいなどとゆう人がいるけど、聞いてても、うっとうしいな。ほんまは長生きしたいやろとゆいたくなる。
連れあいがいなくなったり、自由に体が動かせなくなって、心細くなるんやろけど。
ええ年を取るとゆうことは、自分の性格だけでは、うまくいかへんことが多いから、自分にあった仕掛けを作って生きることやと思う。
仕掛けの中心は、家族かもしれん、夢かもしれん、仕事かもしれん、宗教かもしれん。とにかく、人間は、「丸腰」では生きていかれへんことが、だんだんわかってくる。
河内音頭の河内家菊水丸は、「世の中、ジェニとコネだっせ」ゆうとるけど、ぼくは、「世の中、仕掛けと段取りだっせ」ゆうているねん(「段取り」については、気が向いたら書く)。
昨日、おばから、おじが、また入院やとゆう電話が来た。今度は、どんな仕掛けやろ?.