探す

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

「探す」
人生には、「選ぶ」ことも、一杯あるけど、「探す」ことも、死ぬほどある。
昔は、「年上の女房は、金のわらじをはいてでも探せ」ゆうた。
年上のしっかりした女房に家を任せたら安心やとゆうことなんやろけど、昔は、二十歳前後に、嫁に行くから、そうゆう人を探すのはたいへんやった(「出戻り」は、別として)。
今は、人探しは、インターネットを使えば簡単や。こんなんしまひょ、あんなんできまへんかゆうのはもちろん、一緒に死んでくれる人、この指止まれも、へっちゃらや。
せやけど、探すのがむずかしいのは、やっぱり、ものより人やな。物探しは、根気がいるけど、人は、探してからがむずかしい。
ぼくは、前の事業で、約30年で、1万人近い女性を面接した。一日100人ぐらいのときがあって、へとへとになった。
「人を使うのは、苦を使うことや。しかも、女(おなご)は、けんかばっかりしてるやろ」と、親戚から、ようほめてもうた(!)
ここだけの話しやけど、「帯に短し、たすきにも短し」ゆうのが多かった。
松下電器やトヨタは、営業の誰、経理の誰ゆうて有名や。大企業になったところは、そうゆう人がいる。いや、そうゆう人がおるから、大企業になったのか。
結婚でも、そうやろな。探してから、選ぶ。選んでから、探す(ええとこも、あらも)。
せやから、「探す」と「選ぶ」は、コンビや。
昔から、芝居などでは、親が子を、子が親を探すシチュエーションが、満天下の紅涙をしぼってきた。
能や歌舞伎の「隅田川」は、息子が誘拐され、探していた母親は、息子が隅田川で死んだことを聞いて、気が狂う。息子は、亡霊となって、母親の前に現れる。
せやけど、理不尽な理由で、子供を探す親の姿は、現在も、テレビで見るけど、ほんまに気の毒や。早う会えたらええのにと思う。
探すことは(選ぶことも)、自分の能力や。それで、石垣綾子などは、「3回結婚をすべし」という説をゆうてた。
1回目は、若いから、互いに体のことしか考えられへん。2回目は、少し見る目が出てきたから、子供を作り、育てる。3回目に、人生の伴侶を見つけて、幸せな人生を送る。「愛の寿命は、4年」とゆう説とも符合する(これ以上は、また別のムーズで書きたい)。
ところで、ぼくも、一生懸命探している人が、3人いるねん。
1人は、今、ブラジルを冒険する話を書いているので、言葉や地理に詳しい人やけど、ええ人が見つかった。あと、2人やけど、それが今年の課題や。
ところで、きみは、金のわらじをはいて、探している人はいまっか。
とにかく、どんなに年取っても、探してもらえるように、がんばりまひょ。

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