選ぶ
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「選ぶ」
4月は、新社会人が、町中にあふれる月やから、おっちゃんが、いろいろ教えたるとゆうわけで、「選ぶ」ことを考える。
ぼくらは、毎日、目の前のもんを選んできて、今日とゆう日があるわけや。
「食べるもん」やら、「着るもん」やら、「ここで、どんなギャグ飛ばしたろ」まで、ぱっぱ、ぱっぱと選んで、自分の一日が出来上る。
大きなことやったら、誰と結婚しようとか、どんな仕事をしようとかもある。
選ぶのがしんどなったら、自分を、選ばんでもええ状況においたらええねん。
バーナード・ショーが、仕事をすると、一日の大部分が決まってしまうから、何をしようと考えでもええとゆうとる。
それを見たいのやったら、裁判官や弁護士の予定表を見せてもろたらええ。
2,3年後まで、予定がびっしりや。ぼくは、自分の事業で、金を払わんもんに、裁判をしたから、両者の日程調整に立ちおうたけど、早くても、半年後になってしまうから、いらいらした。
予定が、びっしり決まっとるのも、つらいやろな。「新地」で、ホステスのパンツかぶる弁護士を知ってる(また、ホステスのパンツかと思うやろ。ぼくが好きなんやのうて、先方が好きなんや)。また、よう新聞に載っていたけど、裁判官を、途中でやめて、小料理屋のオヤジになった人もいる。人生観のこともあるやろけど、自分で決められへんのも、原因やろか。
逆に、金持ちになろうとして、松下幸之助(今は、ビル・ゲイツか)とおんなじことやっても、うまいこといくやろか。
ところで、「選ぶ基準」の違いが、その人の個性やし、また、個性を作っているのやろな。たとえば、飛行機に乗って、さあ、出発とゆうときに、「皆様、本日はご搭乗ありがとうございます。本日のパイロットは、阿野世行造、副パイロットは、古野前落太、アテンダントは、先荷逃代です。それでは、空の旅を、ごゆっくりお楽しみください」とゆう機内放送があったら、急に用事を思い出して、旅行をやめる人がいるやろか。
子供のときした「はしごを横に並べたようなくじ」があるやろ。曲がれるときは、必ず曲がって、最後、何を引くかとゆうやつ。あれ、なんで、人と重ならんのかようわからんけど、「選ぶ」ことは、あれと一緒やな。みんな、違うわけや。
ところで、「選ぶ」とゆうことは、相手も、「選ぶ」とゆうことや。そこに、人間関係のややこしいところがあるわけや。
「選らばれし者の恍惚と不安。その二つ、我にあり」と、ヴェルレーヌが、詩に書いているけど、「選べし者の後悔とフトン。その二つ、我にあり」が、おっちゃんの歓迎の言葉や。「フトンって、なんや」てか。選んでもうたもんはしゃあない。くよくよせんと、ゆっくり寝て、次行こかとゆうことや。ムリがあったか。人生には、ムリ、ムダがいっぱいある。