ノラは帰ってきたけれど
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「ノラは帰ってきたけれど」
ノラゆうても、ノライヌちがう。最近では、ノラ・ジョーンズやろな。あの歌声を聞くと、癒されるもんなあ。でも、ぼくが、書きたいのは、イプセンが書いた「人形の家」のノラ(ノーラ)や。堅実な夫との生活に耐え切れず家を出る。夫(メルヘンゆう名前や)は、借金(今やったら、ローンやろか)を毛嫌いするタイプや。そうゆう考え方の違いで、自分を出せへん「人形のような」生活はいややゆうて、家を出た。ヨーロッパでも、19世紀後半は、女が、「自立する」ゆうのは、衝撃的やった。
若いときは、そんなに大した芝居かと思てたけど、差別とか、いじめゆうのは、するほうは忘れても、されたほうは一生忘れへんもんや。人のうらみを買うと、えらい目に会う。
今、日本が、まわりから、いろいろゆわれているのも、そうゆうところがある。
個人的に思い当たるところでは、値段が高いコンサート(この前、リサイタルゆうて、笑われたけど)に、並んでいると、横に、「招待席専用」ゆうで出入口があって、有力者や新聞記者が、スッと入る。興行も、商売やからしゃないけど、こっちは、高い金は払ろとんのに見えんところから入れと思うな。これも、差別されとんのやろか。
本題に戻ると、石垣綾子の結婚3回論を書いたら、ノラが浮かんでん。
昔は、親の命令で、しぶしぶ結婚することもあった。だから、あと2回ほど結婚すると、育児の責任も果たせて、伴侶を探す能力もできるとゆうことやろな。女の現実論やろか。
今は、何分に1組離婚をしているとかゆわれるけど、今に始まったことではなく、自分の生き方を考えた結果のような気がする。
ノラも、ようやく帰ってきたけど、内心、「あほくさ、わたしら、苦労してきたのに、男は、反省してへん。子供をあまやかすばっかりやから、こんなことになるねん。もう、何ゆうてもあかんわ。また出て行くのはしんどいから、子供がいなくなったら、友だちと、海が見えるところに、家建てて、のんびり暮らすわ」みたいなこと思てるで。
ぼくも、今の若いもんは、何を考えてんのや、いや、何にも考えてへんのとちがうかと思てたけど、ぼくらにはない辛さもある。何でもあるけど、経済も、文化も低迷してる。そんな中で、ようがんばってると、思うけどな。
ジェンダー社会学ゆうのがあるけど、「女は差別されている」ばっかりゆうても、実りがあらへん。家事や育児をするのは、夫婦の力関係やゆうて、夫を「こきつこうてる」奥さんを、ぎょうさん知ってる。
要するに、男が、自立しとらんのやろ。歌手でも、「ピン」(一人)の男がおらんようになった。みんな固まって、お経みたいな歌を歌ってるだけや。
「世間」とゆう強い見方がなくなったから、家庭は、男が、好きなことができる「メルヘン」の場ではないんやな。
今度は、男が、家を出る番やろか。