資格
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「資格」
この前知り合いから、こんなこと聞いた。
介護施設で、介護の講習をしてたとき、受講してた若い女性が、「おとしよりと喧嘩して、殺したら、クビになるやろな」とゆうたんやて。もちろん、変な空気になったから、まわりは、シーンとなるわな。そしたら、彼女、「この前、あったやろ。ストーブをかけて、殺した事件が」と、追い討ちや。
今後、彼女にも、スタッフとして、介護を任せんとあかんねやけど、大丈夫やろか。
介護保険を作ったのは、「少子・高齢化」がきっかけや。これは、世界的な傾向やけど、日本は突出してる。要するに、働く者が少なくなって、働けない者が増える一方になる。
これは、えらいこっちゃゆうて、国は、おおあわてやった。もちろん、民間事業を入れんとあかんから、国は、介護事業は、よう儲かるゆう宣伝をした。16兆円の市場やゆう経済研究所もあった。しかも、ヘルパーは、ぎょうさんおる失業者にさせたらええゆう考えやった。せやから、病院だけやなく、異業種からも、どんどん参入した。ところが、うまいこといってへんとこがほとんどや。
介護をすることは、医者と同じくらい資質がいるねん。最初に書いたようなのが、入ってくる、いや、出てくる。だから、勉強だけしたらええゆうもんとちがう。
最近、医者や学校の先生の資質を、何年おきに見ようということがゆわれている。
免許だけではあかんことがわかってきたんやな。
研究室で、「腑分け」(古いな)だけやったらええけど、患者を相手にする臨床医は、「病気を診て、人間を見ん」のが多いとゆうわれているやろ。
ある意味では、ぼくらは、医者は、選ぶことができるけど、学校の先生は、むずかしいな。
学校の先生の「良し悪し」で、子供の人生に、大きく影響することがあるもんな。
そうゆうても、途中で、資質がないとゆわれても、本人はつらいな。だから、外国のように、最初に、徹底的に資質を見ようとゆうことや。
だから、「免許」とゆうより、資質を入れた「資格」とゆうほうがえええような気がする。資格は、「おまえは、そんなことをゆう資格がない」とゆうような使い方をするから、「立場」ゆうような意味が含まれている。
今までは、「人間」なんか、全然見てへんやろ。せやけど、資質を見るゆうても、そう簡単にいかへんで。
結婚がそうやろ。資質があると思うて、結婚したんやけど・・・ここまでゆうたら、資質についてなら、私も話があるとゆわれそうやから・・これ以上はやめとく。
フイリップ・マーローの「強くなければ生きられない。優しくなければ、生きる資格(資質)がない」とゆう言葉は有名や(翻訳は、ちょっと字あまりで、好きやないけど)。
ほんま、生きるのは、免許はいらんけど、楽しく生きるのは、資格(資質)はいるようや。