シーラじいさん見聞録

   

声が消えると、泡もすっと消えていった。そして、何事もなかったように、真っ青な海にもどった。
シーラじいさんとオリオンは、しばらく身動きしなかった。いや、できなかった。何か大きな力によって押さえつけられているようだった。
ようやく小さな魚がもどってきていた。
オリオンは、シーラじいさんのほうを見て、緊張した声で聞いた。
「シーラじいさん、今の声を聞きましたか?」
「ああ、聞いた」
「誰の声ですか?」
「わからない」
「どういう意味ですか?」
「ウミヘビのばあさんが言っていたお告げと関係があるのか。
海が割れるとか地が動くとか言っていたな。そんなことはないといいがな」
オリオンは、何か考えていたが、しばらくすると泳ぎだした。
しかし、ふらふらして、まっすぐ泳げないようだった。こちらに向きを変えるときも、以前のようにすばやくできなかった。
ようやく帰ってくると、「ああ、ぼくは、こんな体になってしまったですね」と、泣きそうな顔で言った。
「オリオン、背中のひれを取られたようだ。でも、前のようにはいかないが泳げる。
二人で助けあっていけば大丈夫だ」シーラじいさんは、オリオンを励ました。
オリオンは、じっとシーラじいさんを見ていたが、「たいへんなことが起きそうなのに、ぼくはこんなことになってしまった」とつぶやいた。
「オリオン、ここで、しばらく休もうじゃないか。体に力がみなぎると、勇気がわいてくる。
おまえにはしなければならないことあるのを聞いただろう?」
オリオンは、大きな声で泣きだした。
シーラじいさんは、オリオンをその場において、安全な場所を探しにいった。
どこにも島影は見えなかったが、そう遠くまで行くわけにはいかないので、近くを探した。
ようやく、100メートルぐらい下に休める岩礁を見つけた。
大きな岩がないので安全ではなかったが、オリオンが元気になるまでだと思ったが、オリオンは、一日中じっとしているばかりだった。
シーラじいさんは話しかけた。
「オリオン、おまえの気持ちはよくわかる。でも、尾びれが、そんなことになれば泳ぐことはできない。
しかし、おまえは泳げる。それを幸運だったと思わないか。今のままでは、何もできない。それでいいのか」
オリオンは黙っていた。
前に聞いたことがあるが、おまえの仲間が泳げなくなったとき、ニンゲンが、また泳げるようにしたことがあるらしいぞ」
「どうして、そんなことができるのですか?」
「何でも、ニンゲンは、尾びれを作って、そのイルカにつけたらしい」
「でも、ニンゲンは、尾びれなんか持っていないでしょう?」
「ニンゲンは、自分ができなくても、空を飛んだり、海を走るものを作ることができるだろう?
ニンゲンに頼めば、おまえも、元のように泳げるようになるはずじゃ」
「それじゃ、どうしたらいいのですか?」
「それを、今考えている」
シーラじいさんの返事を聞くと、オリオンは、どこかに行ってしまった。
それから、また数日たった。
太陽が海を真っ赤に染めると、すぐに暗闇が広がった。
シーラじいさんは、海面まで上がってきた。月が皓皓(こうこう)と輝いていた。
オリオンを探したが見当たらなかった。そのとき、妙な気分に襲われた。
何かが今にも起きそうな気がしたのだ。
また、あの声が聞こえてくるのかと思って、少し海の下に行った。
すると、下の方から、白い煙のようなものが湧きあがってきた。シーラじいさんは逃げようと構えた。
しかし、湧きあがってくるものは、月の光が届くにつれて、赤や黄色、紫に輝きだした。
あまりの美しさに、そのまま見とれていた。オリオンが、いつのまにか帰ってきていて、
「シーラじいさん、これは何ですか?」と大きな声を上げた。
「わしも初めてだが、多分、サンゴの子供が生まれているのだろう」
「サンゴの赤ちゃんは、こうして生まれるのですね!」
「サンゴは、サンゴ礁から離れられないので、こうして子孫を残すのだ」
「それにしても美しいですね」
そのきらきら輝く煙は、あちこちから湧きあがっていた。
「わしらには見えないが、もう子供が生まれているはずだぞ。
オリオン、子供たちは、しばらくしてから、懸命に親の近くもどるのだ。そして、あの美しいサンゴ礁を作るようになる。
おまえも、親から与えられた命を大事にしなくてはいけない」
オリオンは、まだ湧きあがる命をじっと見ていた。

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