もう一つの国 1~4
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(263)
「もう一つの国」(1)
一人の若い娘が街角に立っていました。24,5才ぐらいで地味な服装をしていますが、小柄な体にそれが似合っているので、年齢以上に落ち着いた雰囲気がありました。
実際、30分ぐらいそこにいますが、時計を見たりすることもなく、じっと前を向いたままです。
しかし、金曜日の夕方なので、娘に注意を払う者はいません。しかも、いつもの金曜日よりも大勢の人が歩いています。徐々に大波のようになってきました。
それに大波は騒がしい音を立てています。多分、初夏の風が心地よいので、仕事から解放された喜びがさらに大きくなったようなのです。
「このまま誰もいない部屋に帰りたくないわ」誰かがそう言うと、「そうだよね。それじゃ、おいしいものを食べに行こうか」と応じました。
他の仲間も、「行こう、行こう」と賛同の声を上げました。そんな賑やかな声が大波のあちこちから聞こえてきます。
娘は、波に飲まれないように小さなビルの入り口に避難しましたが、波はさらに勢いを増してきたので、もう少し奥に下がりました。ガラスのドアに接するほどです。
しかし、ビルの中から出てくる人の邪魔をしてはいけないと思ってビルの奥のほうをちらっと見ましたが、ビルの内部は真っ暗で奥に小さなライトがあるだけです。
みんな帰ったのだろうかと思いましたが、ビルに入ったところにある5、6個の郵便受けはすべてチラシなどで溢れています。しかも、会社名などはすべてなくなっています。
「空き家のビルか」と思っていると、奥のほうで人影が見えました。
それで、入り口から離れて隣にあるパン屋の店先に行きました。
ビルから出てきた人を見ると、杖をついた大柄の老人です。老人は最初波の中に入るのを躊躇していましたが、ようやく勢いが弱くなった波に入りました。
それは何でもない都会の光景で頭にも残っていませんでしたが、数日後、娘がそこに立っていると、どこかで見た老人がこちらに向かって歩いてきました。
娘は、「あのおじいさんだわ」と思いましたが、このビルのオーナーだろうと考えていたので、このビルの近くで会ったことを不思議に感じることはありませんでした。
思っていたとおり薄暗いビルの中に入りました。そんなに好奇心はなかったのですが、何気なく老人を目で追っていると、ビルの通路の途中で突然姿が消えたように思いました。
「あら。ゆっくりしか歩けないのに、どうしたのかしら」と不思議に思いましたが、「そうか。あそこに部屋があるのだわ。それで急に消えたように見えたのね」と納得しました。
娘は最近ここで立っていることがあるのですが、それ以来毎回のようにその老人に会うのです。時間によってビルから出ていくことも、ビルに入ることもあります。
ビルに入りときは決まったように突然消えるのです。「ビルの中は暗いから、何か錯覚が起きるのだわ」そう思うのですが、娘の好奇心は徐々に強くなっていきました。
「あの消え方はどうもおかしいわ。杖をついた老人が部屋に入ったとしても突然というのはおかしい。
部屋の奥から誰かに勢いよく手を引っ張られているようだわ」
娘はそれを突きつめるために少し早めにビルの前で待つことにしました。
10分後にやはり老人があらわれました。老人はいつもと同じように故をついてゆっくり歩いてきます。
娘の心臓は苦しいぐらい高まりました。落ち着くように深呼吸をしてからビルから離れました。
老人はビルのドアを開けて中に入りました。娘は急いでビルのほうに行きました。そして、なにげないようなふりをしてビルの中を見ました。
老人はビルの中に入ったところです。ゆっくり進んでいます。心臓が口から飛び出しそうなぐらい脈を打っています。
老人は止まると体をゆっくり体を横に向けました。「あっ!」娘は大きな叫び声を上げそうになりました。そのとき老人の姿が突然消えたのです。
「まちがいない。部屋に入る仕草をしていない」娘は今見たことを自分に説明しました。
まだ心臓の動悸が収まっていないので、ビルの壁に手をついて休んでいました。しかし、いつもより早くビルの奥で人影が動きました。
娘はあわてて離れました。通りの反対側で様子を見ていますと、例の老人がいつもと同じようにゆっくりビルから出てきました。
そして、いつもと同じように通りに入り、やがて姿が小さくなりました。
「どうしようか?」娘はまた自問しました。「今日はこのために来ているのだからこのままでは帰れないわ」娘はもう一人の自分の答えを聞いて、自分を奮い立たせました。
ビルまで戻り、「誰かで出てきてもビルを探しているといえばいいわ」そう覚悟を決めてガラスのドアを押しました。ドアは重かったですが、ゆっくり開きました。そして、そのまま中に足を入れました。一歩一歩進みました。
「ああ。このあたりだわ」いつも老人が消える場所で立ち止まりました。左を見ると部屋はありませんが、大きな姿見が壁にかかっています。
そこから薄暗い奥を見ました。突き当りの左側はどうなっているのか知りたくて、ゆっくり進みました。
覗くように見ると、そこには小さなエレベーターがあり、その右側には狭い階段がありました。それがわかると、急いでビルの外に出ました。
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(264)
「もう一つの国」(2)
人とぶつかりそうになりながら駅にたどりつきました。それからどうやって帰ったかわからないほど、先ほど見た光景が頭を離れません。
マンションに戻っても、まだ興奮が収まらないので、水を飲んで少し横になりました。
しばらくすると、少し冷静になり、「鏡の前でおじいさんが消えたことにはまちがいないけど、ただそれだけだわ」と自分に言い聞かせることができました。
「ひょっとすると、鏡が原因でおじいさんが消えたように見えたかもしれない。鏡の角度なんかは調べていないけど、多分そうよ。
おじいさんが、毎日のようにあのビルに行くのはちょっと不思議だけど、空き家になったビルのオーナーなら当然だわ」と分析しました。そして、「もうあのビルの近くに行くのは止めよう」と決めました。
それから、食事をしたりお風呂に入ったりしていつもと同じことをしました。
11時になったので寝ることにしました。疲れていたのですぐに眠りにつきました。
どこか暗い場所にいます。一人がようやく通れそうな狭さです。横に手をやると、ごつごつしたものが手に当たります。どうも洞穴の中にいるようです。しかも、気をつけながらも前に進んでいます。どこに行くのでしょうか。
自分は何をしているのかそんな疑問も浮かぶのですが、必死で前に進んでいます。
洞穴には自分が立てる音以外は全く音がありません。それに誰がいるようにも思えません。
長い間進んでいると、そこは真っ暗なのに、向こうのほうで暗闇以上に黒いものがいるような気がしてきましたが、「気のせいだわ」と思いました。
しかし、疲れたのでその場に立って休みましたが、その黒いものは動いているようです。しかも、黒い影は一つではなく、五つ六つあって離れたり重なり合ったりしています。
怖くなってもここから戻るわけにはいきません。意を決して、前に進みはじめました。影はさらに激しく動いています。
足が震えてきましたが、それを見ないようにして進みました。そして、前を見ると、影は手が届くほど近くにいました。
思わずキャーと叫びました。すると、「おまえたち。もうやめるんだ」という声が聞こえました。
何が起きたかわからず、その場ではぁはぁ息をしていると、「娘さん。もう心配ありません。そこに脇道があります。そこを進むとすぐに外に出られます」と老人の声がしました。
「ありがとうございます」そう言って歩き出しました。すると、少し明るくなってきたので、脇道がすぐにわかりました。確かに薄暗いですが、道の様子はよくわかったので走ることにしました。2,30分走ると、眩しいほど明るくなって、外に出ることができました。
娘は目を覚ましました。「夢を見ていたのね。でも、不思議な夢だったわ。助けてくれたのはあのおじいさんなのかしら」
その日はずっと夢のことを考えていました。「やはりあのビルやおじいさんのことは忘れたほうがいいという知らせかもしれないわ」そう思うと、あのビルに近づかないという自分の決意は正しいと思うようになりました。
実際、そのビルのほうには足を向けませんでしたが、1か月ほどして、客と歩いているとき、偶然あのおじいさんを見ました。相変わらず杖をついてゆっくり歩いています。「そうか。おじいさんはあのビルに行くんだわ」と思いました。
「ここから、5分ぐらい歩けばあのビルがある」
客は、娘が考えごとをしているようなので、「どうしたんだ?」と聞きました。娘はほんとのことを説明するわけにはいかないので、「大事な要件を思いだしたわ。ある支払いが今日までだったの。30分ほど喫茶店で待っていてくれない」と頼みました。
「仕方ないなあ。まみちゃんのためなら待っているよ」と客もすぐに承諾しました。
「ありがとう。埋め合わせするから」と言って、おじいさんが行った方に行きました。
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(263)
「もう一つの国」(3)
娘は大勢の人の間を潜り抜けるようにして、おじいさんを追いかけました。
もちろん、おじいさんが入るビルはわかっているのですが、中に入って10秒後にどうなるかを見たいので急いだのです。
もちろんおじいさんが姿を消す瞬間は何回も見たのですが、1か月近い日にちがたっているので、少し冷静に見ることができるかもしれないと思ったのです。
一度おじいさんが帰った後、勇気を出してビルの中に入ると、おじいさんが消えた場所には部屋はなく壁には大きな姿見鏡がかかっていました。
「でも、おじいさんは消えた。すると、あそこには別の鏡があっておじいさんが消えたように見えただけかもしれない。マジックなんかでそういう仕掛けがあるもの」娘は自分にそう説明しました。
「それ以上はわからないけど、いつまでもこんなことにかかわっていても仕方がない」と思うようになりました。「他人に話したら笑われるだけだわ」
でも、考えないようにしていても、頭の頭にどこかでこのことが残っていたのか、
ビルの奥に亡霊がいて、それが自分を襲おうとしたとき、おじいさんが守ってくれる夢を見たのでしょうか。
それから、そのことは考えないようにしていましたので、あの光景がふっと浮かぶことはなくっていました。
しかし、たまたまおじいさんと出会うと、まだ頭に残っていたものが一気に吹きだしたようです。
おじいさんは背は高く、以前と同じように杖をついているので、遠くからでもすぐに見つけました。そして、ビルまで20メートぐらいでおじいさんに追いつきました。
娘は車道側で立ち止まり、様子をうかがいました。おじいさんは反対側から来る人の流れを少し待ってビルのほうに行きました。そして、玄関のガラスドアを開けました。娘はすばやくそちらに渡り、玄関に行きました。
そして、何気ないようにしてビルの中を見ました。しかし、中は暗くて全く見えないのです。ひと月の間に日暮れが早くなっていたのです。以前は夕方の光がビルの奥まで届いていたので、おじいさんの様子がよく見えました。
もちろん近所の店の光はあるのですが、ビルの中には届きません。
娘はしばらく持っていました。客を待たしているので、そろそろ戻ろうかと考えていると、ドアが開き、おじいさんが出てきました。
娘はビルの壁にもたれて少し息を整えました。それから、急いで客が待つ喫茶店に行きました。客を探して、「遅くなってごめんなさい」と謝りました。
「無事に終わったのかい」客は怒っていません。
「少し手間取っちゃった。でも、終わりました」
「それじゃ。行こうか」
その晩、娘は、「おじいさんは健在だったけど、ビルの中は真っ暗だったのは誤算だった。まあ、仕方がない。あきらめましょう」と自分に言い聞かせました。
しかし、翌日、娘は電気街に足を運びました。大きな店に入り、商品を見てまわっていると、店員が、「何をお探しですか?」と聞きました。
娘は、すかさず「小型の監視カメラです」と答えました。
「最近、洗濯物を取られることがあるので、ベランダに監視カメラを置きたいのです。でも、いらなくなったら外したいので、すぐに取り外しができるものを」
「わかりました」店員はしばらく商品を見ていたが、「それでは、これはどうでしょう」と娘に、指で挟んだものを見せました。直径3センチぐらいのものでした。
「えっ、これカメラ!」
「そうです。性能もすごいですよ。暗い場所でもはっきり映りますし、マジックテープでもマグネットで外れません。しかも、長時間録画もOKです」
「これいただくわ」娘はすぐに答えました。それから、大体の使い方を聞いて店を出ました。
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ほんとにヘンな童話100選」の(266)
「もう一つの国」(4)
娘は、自宅に帰ってもその監視カメラが入っている箱を開けようとしませんでした。何となく気が重くなったのです。
おじいさんが来る前にビルに入り、姿見の反対側にある郵便受けの下に、マジックテープでカメラをつけてすぐにビルから出る。自分で考えた計画をいつでもできるようになったのに、おじいさんの心に無断で入る罪悪感のようなものを感じたのです。
しばらくすると、「このマジックはどうなっているか知りたいだけなので、おじいさんに失礼なことをするのじゃないわ」と自分に言い聞かせました。
結局その日はカメラの箱はテーブルに置いたままでした。
ベッドに入っても、こんなことをやめよう、いや、すぐに終わるんだからという堂々巡りが頭の中で続いています。
朝起きても、カメラはテーブルの上にあります。娘は、それをバッグに入れました。使うかどうかわからないが、とりあえず目に届かないところに置きたかったのです。
外出の準備をして、11時ごろに街に出ました。銀行やデパートなどで用事をすませ、すべてが終わったのは3時でした。
今日客と待ち合わせするのは5時です。かなり時間があるので、とりあえずカフェで休むことにしました。しばらく店にいると、どうも落ち着かなくなりました。
それで、バッグを開けて持ち物を整理していると、カメラに目が行きました。
あちこち歩いて用事をしているときにはまったく忘れていたのですが、急にカメラのことを考えるようになりました。時計を見ると、5時まで1時間40分あります。
「よし!」娘は立ち上がりました。そして、地下鉄乗り場に急ぎました。「ここから二駅だわ」
駅に着くと、足早に通りを進みました。4時過ぎにあのビルに着きました。
人は多いですが、娘が立ち止まっていても誰も気にしません。
それで、人に流れが切れたときに、ビルの前に行きました。それから、もう一度あたりをうかがってビルのドアを開けました。郵便受けの下に、姿見が入るようにカメラをテープで張りつけました。
ビルの外に出て、また駅に使いました。ビルの中ではわかりませんでしたが、心臓が激しく脈打っています。
その音を消すように、「終わった!」と心の中で叫びました。
その晩は疲れていましたが、ようやく気がかりだったことを終えたことで気持ちが落ち着き、久しぶりに熟睡することができました。
翌日起きると、すぐにカメラを回収しにいこうと決めました。10時過ぎにビルの近くまで行きました。
すると、二人の男がビルから出てきました。娘は驚きました。「おじいさん以外の人間が出入りするのを見たことがない。ひょっとして警察かもしれない。
私のしたことが何か問題でも・・・」そう思って、二人の男を見ました。
スーツを着た若い男と中年の男です。若い男はカバンを持っていますが、「あのカメラが入っているかもしれない」と思っていると、二人は反対方向に歩いていきました。
どうしようかと躊躇しましたが、その後は何も起きません。娘は、「ここまで来たんだから」と自分の背中を押しました。
そして、ビルの玄関を開けて中に入り、郵便受けの下をさぐりました。カメラはありました。それを外して急いでバックに入れ、駅に向かいました。