災害サービス
{ 2020/02/22}
復活ノート
「災害サービス」
日本は、有史以来、いや、有史以前にも、大地震が起きている痕跡があるそうですから、用心するに越したことはないのに、みんな油断します。
地震は起きるだろうが、ここではないというように思うのでしょうか。
確かに関西に住んでいると、地震がないのが取り柄と思っていました。阪神・淡路大震災までは。
近い将来には、南海地震が来るだろうと言われていますが、それに備えて、どこかに移転した人がいるのでしょうか。
最悪の場合は、和歌山からは遠く離れている私の家も津波に襲われるという予測があるらしいですが、妻や近所に住んでいる子供も心配している様子はありません。地震が起きても、最悪のことにはならないだろうと思っているのでしょう。
東日本大震災の場合も、それ以前に津波警報が出ても、数センチ、数十センチばかりだったので、油断したらしいのです(しかも、原発事故が事態をさらに悪くしました)。
今回の熊本地震も、原発事故がなかったとはいえ、復旧には時間がかかりそうです(阪神・淡路大震災は、20年立ちましたが、まだ「借り上げ住宅」のことで年老いた住民と行政の間で紛糾しています)。
とにかく、地震などの天変地異に襲われたら、ほとんどの人にとって、それは人生に大きな影を落とすものになります。
苦しんでいる人を見ると、「何かできないだろうか」と思うことがあっても、ボランティアで行くことはできないし、大きなお金を出すこともできません。
しかし、私の場合、過疎地ではありますが、昔の家があります。それを好きなだけ使ってください(家賃はいりません。ただし、町内会を年5,6000円だけ負担してください)。それに、かなり広い田んぼや畑がありますので、遠慮なく使ってください。
しかし、熊本の人は、遠いし、仕事のこともありますから、希望者はないでしょうが、南海地震なら喜んでもらえるかもしれません(私の家族が住むようになっているかもしれませんが)。
お金はないが、物はある、あるいは、専門的な技量はある人は、いくらでもいます。
この10年、20年を見ていますと、今はどこで災害が起きるかわかりません(梅雨のシーズンが近づいてきました)。
空き家だけでなく、使わない車、職場、また、大工や家庭教師などの技量を登録するサービスです。
遠くではなく、近くに災害が起きたときだけでいいのです。もちろん、自分が災害にあったときは助けを求めます。
特別のものをもっていなくても、社会と結びつき、そして役に立つことができると思えることこそ社会人の姿です。