認知症あるいはシビンに口なし
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「認知症あるいはシビンに口なし」
ええ季節になった。
田植えがすんだ田んぼは青空に浮ぶ綿雲や巣作りに励むツバメの影を映し、近くの小学校からは運動会の音楽や声援が聞こえてくる。
せやけど、鏡のような田んぼの下には、「作ろかやめよか」ゆう百姓の葛藤が隠れているし、学校にも教師や親の不満が渦まいている。
ともかくも、そうゆう重みを抱えた人間を季節が引っぱってくれているわけや。
百姓はしてへんし、子供も社会人になっているから差しせまった悩みはないというご同輩も、こうゆう季節には、これからのことを一人考えたいときがあるのやろ。
最近、会社の前を一人でリュックを背負って通るおっさんが増えてくる。
どこへ行くのやろ。まさか姥捨て山やないやろなと思うていたが、ようやくわかった。
ちょっと歩いて国道に出ると、山は山でも六甲山に行くバスの停留場があるのや。
フィトンチッドと鳥の鳴声で元気が出てくるやろ(若い娘と知りあいになるかもしれへんし。そんなん歩いとらんか)。
また、顔がまっくろけのおっさんも歩いとるで。道路などで交通整理しているのやな。
ぼくは観てへんけど、「劒岳 点の記」ゆう映画があるやろ。あの監督は、黒沢明からも信頼を得ていたカメラマン(映画人は「キャメラマン」とゆうなあ)やったらしいけど、仕事がないときは交通整理のアルバイトでもしようかと考えとったんやて。
確かに交通整理をしているおっさんには(おばはんもいる)、仕事がなくなったのか人間関係がうまくいかへんのかしらんけど、人生につまづいた雰囲気が漂うている。それに、毎日ドライバーにどなられているやろ。
せやけど、無茶飲み無茶食いはやめときや(おっさんでもおばはんでも、あかんやろゆうぐらい肥えているのがいる)。
耐震偽装のマンションを売っていたヒューザーの社長も、詐欺事件を起こしたイカリソースの御曹司も、捕まった後は清掃のバイトをしていた(倒産したヤオハンの会長は年金暮らしやて)。
みんなここがふんばりどころやで(悪いことしたやつはもうせえへんはずや。フツーは)。
何を隠そう、ぼくも、深夜の交通整理をさがしたけど、夜はあんまりないと断られた(大きなスーパーの掃除も商品並べも全部断られたから、宅配便最大手の流通センターで深夜バイトをした。
毎晩若い社員から、「アホ、ボケ」の洗礼を受けた。何もかもなくすと社会からこうゆわれるのやなと歯をくいしばってがんばったもんや。
1ヶ月で10キロやせた。80キロを切ったのは30年ぶりぐらいや。やせられると自信がつくで。やせたいもんは、深夜に力仕事しい。これはまちがいない。時間給1000円もらえるし)。
それはともかく、ぼくは緊張しいやからトイレが近い。山なら立ちションベンでも野グソでもできるけど、道端で尿瓶(しびん)を使うわけにいかんから交通整理はやめとく(「探偵ナイトスクープ」で、フラミンゴのように片足立ちをすると、おしっこが止まるとゆうていたけど)。
緊張するのは人の目が恐いからや。人がいない世界はないからなあ。政治やスポーツの世界ならなおさらや。
またゆうでと思うているやろ。人の尻馬に乗って、「せや、せや」ゆうのはほんまは嫌いやけど、日本を代表するビンボー神2人についてもう1回だけゆうわ(「ビンボー神」ゆうても、鳩山は、何百億ゆう母親の遺産を弟と分ける身分や。精神的なビンボー神な)。
鳩山は、「家から済州島まで飛んできた(ように見える)ヒヨドリが、『もうやめて帰ってこい』と言うので、総理大臣をやめます」とゆうた。
岡田も、「これがすんだら、百姓をします」とインタビューで答えたそうな。
家に帰っても戦闘機の騒音がうるさい人はどうなるの、冬季オリピックの次はワールドカップやゆう国民はどうなるのやとゆう話やろ。
2人はアホやないんやで(東大と早稲田を出ているし)。人間関係が苦手やから、自分のことをゆうてしもうただけや。
認知症のとしよりをいっぱい知っている。話がころころ変わるので、最初腹が立ったが、今はしんどいやろなと思うようになった。
自分がゆうことが、「そんなことしたらあかん」とか「気持ちはわかるで」とニュアンスは変わるけど、100人いるなら100人に反対されるわけやから。
2人が認知症やとゆうているわけやないんけど、人とうまくいかへんでも、たかが人間関係ぐらいで自信をなくしてほしくないんや。
ぼくも、そう思うて生きていくわ。口がないシビンは使わんでもええようになるやろから。