SAY少々納言

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「SAY少々納言」
都にケータイというものあり。耳に当てて、遠くにいる者と話ができたり、メールという文(ふみ)を送ることができるものなり。
街中で使いたるときは、雑音に負けじと、一里四方まで聞こえる声を出したり。うるさきこと雷鳴のごときなり。
殊に年老いたる女、憚(はばか)心無くして、臆面もなく、「にいちゃん、ちんこい『っ』はどうするんやった。今、孫からメールが来たもんやから教えて」などと、見も知らずの男に者に聞く者あり。
あるいは、「なんで文章をがんばって作ったのに入らへんの~」と尋ね、「それは、『件名』に入れたからよ」と聞きおよぶと、「そうか。一生『懸命』ではなく、肩の力を抜いて打たんとあかんねんやな」と納得する女もいたり。いと愚かなり。
はたまた、妙に手管(てくだ)にたけ、「絵文字は使いすぎないほうが効果的よ」とか「文章が終わっても、ENDの間に空間を置くと余韻があるわ。何、デコメールについて聞きたいの?それはね・・・」などと、したり顔でいうものも哀れなり。
まことにケータイなどは、年老いたる者には禁止すべき代物なり。なんとなれば、人生の黄昏においては、己の来し方行く末を静かに思うときなり。
また、ペットと称して、犬や猫を常にはべらかす者多し。常に己の食べるものより高きを与え、病気になったれば、すぐに動物の薬師(くすし)に連れていき、治療費が如何なるものでもすぐに支払いたり。
「人間は裏切るけど、ペットは裏切らないからね」などと託(かこ)ものなれど、自分が裏切ってきたからこそ今の不遇があるのを知るべし。
明け暮れを共にする相手なき場合は仕方なけれども、家人や友を常に悪し様に言いつのり、犬や猫のみ味方にせんとするのは愚かなり。
また、後先考えずにして物食いたり後、バナナやキーウィといった西洋果物や納豆などが腹を小さくすると聞けば、それら腹一杯食してまた腹を膨らませるなり。
さらに、「年より若く見える」ということを何より尊きとし、サプリと称する怪しきものを追い求める者多し。
今日はコラーゲン、明日はコエンザイムQ10と、その姿風の中の塵の如し。
「ほら、お肌ツヤツヤ、スベスベ」と満ちたりていえども、数日にして、真実(まこと)の顔現れ出でぬ。
老いたる男も、「酒もタバコも女もせずに、百まで生きたアホがおり」などとうそぶきながらも、昼時の公園などで、裸踊りを業とするもののように腰をくねくね回すも哀れなり。
都には、カメラと称する、物を写す機械もて、女の股座(またぐら)を写す輩(やから)数多(あまた)徘徊す。
若き女は、上着から、黒い下穿きを見せて、色欲に迷う輩の欲望を減じたり。
その格好を真似する年老いたる女もおりて、まことに哀れなり。
いつの世も男と女は仲むつまじきを旨とすべきところ、千余年の後も、男は女を忌々しく思い、女は男を憎々しく思う世と知れば、まことに慨嘆すべきことなり。

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