青年よ、大志を実現しよう
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復活ノート
「青年よ、大志を実現しよう」
毎日、新聞チラシを見てから、近所のスーパーで仕入れをしますが、最近、レジ係りに青年の姿が増えたように思います。
さすがに「イオン」では見かけませんが、「関西に何十店舗」というクラスのスーパーでは、徐々に増えています。昔では考えられなかったことです。
主婦と話す機会が多いですが、その人が誰かバトルをしている場合は、「あの人は、レジぐらいしかできへんくせに」という毒を吐く人がいます。
また、介護ヘルパーと話をすると、「息子ぐらいの年の男がヘルパーをしている。私が親なら、絶対させへん」という毒が出てきます。
職業に貴賤はないといっても、まあ、世間の評価はそういうことでしょう。
確かに、店のエプロンを着て、頭には三角巾や保育園児がかぶるようなお面をつけて(もちろん、顔を隠すものではありません。お面には、動物の絵と今日の特売品などが書いてあります)、客が来れば、「お待たせしました」という挨拶をし、精算が終われば、「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」と言いながら、両手を腰のあたりに組み、会釈をするのです。
その青年の親が見れば、何か感じることがあるでしょうが、本人は、恥ずかしさなどを振りきって決断したことでしょう。
私も、京都で学生生活を送りましたから、旅館や八つ橋工場のアルバイトをしました。
また、25才で、「脱サラ」をしたときは、焼肉屋でアルバイトをしました。
10年ほど会社を畳んだときは、50過ぎで、流通センターで仕分けのアルバイトをしました。
自分の子供ぐらいのスタッフから「アホ、ボケ」と言われながらの仕事は辛いものがありましたが、これも自業自得と自分に言い聞かせながら続けました(その後、危険物取扱いの資格を取り、ガソリンスタンドのアルバイトをしましたが、これほど楽なアルバイトはありませんでした)。
私も、50過ぎて、アルバイトをする羽目になるとは思いもよりませんでしたが、若い人も、不本意な仕事をするようになっても、何かを得ようとする気持ちを忘れないようにしてほしいと思います。
そういう若い人を集めることはできませんか。若い人は夢と革新力を持っていますし、社会がどういうものかわかりかけています。
それらをどう結びつけるかだけです(私にできることは、傲慢な経営者は、どんな失敗をするかということだけですが)。
若い人が、お互いを励ましあい、自分の考えたビジネスをはじめたり、会員企業のアドバイスをしたりして、人生を切り開くのです。
若い人の生命力を生かすことしか社会が生きのこる道はありません。