新ビジネスは背後にあり

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復活ノート

「新ビジネスは背後にあり」
私の知り合いの人は難病で、動けないだけでなく、気管切開をしているので話すこともできませんが、どこかでコンサートがあればそこに行くし、毎月のようにミュージシャンを呼んで、「ホームコンサート」を開いています。
また、本を書いたり、曲を作ったりして(誰かに歌ってもらってCDを出す)、常に自分を表現しています。「会話」も、かろうじて動く手を使ってパソコンですることもできます。
その人は、「世の中にパソコンがあってほんとによかった。もしなければ、何もできないし、何もわからないのだから、どんなに辛い日々を送らなければならなかったか」と言っています。
コンピュータ社会は、ハンディのある人に大きな味方になっていますが、個人にとっては、嵐の中の葉っぱのように、まだうまく距離を取れないことがあります。
そうなれば、コンピュータ社会に近づきすぎたり、離れすぎたりして、スマートに生きていけません。そういう意味では、コンピュータ時代はまだ始まったばかりなのかもしれません。
世界のすべての人間が、生まれたときから完璧なコンピュータ社会という時代が来ても、全員がスマートに生きていけるかどうかは知りませんが、とにかく今の人間は、コンピュータに振りまわされているというように見えます(30年ほど前にコンピュータが出てきたときには、「コンピュータはまったくミスをしない」というイメージがありましたら、請求書のミスを指摘されても、「コンピュータがやっています」と突っぱねたり、結婚相手をコンピュータが決める「結コン」なる言葉で、会員を集める結婚あっせん所がありましたが、その頃と比べると、かなり成熟していますが)。
電車でも、歩いていても、自転車でも、時には車でも、スマホを離さない光景が100年先でもあるかどうか見ものです。
問題は、私と同世代以上の人の今の動向です。多分、「今は昔とちがう」という思いを強く持っていて、その思いが、社会に対する気後れを生んでいるかもしれません。
いくら年を取っても、家族や友だちに恵まれていたら、コンピュータ社会に対する流儀がちがうだけで、自分を主張して生きていけますが、独居のおとしよりは、自分を出すことをためらうのです。
ここにビジネスができます。おとしよりに、コンピュータ社会のあれこれを相談に乗っていくと(ネットの扱いなど)、その他の相談にも広がっていきます。
そのように、世の中の流れの背後には、新ビジネスが隠れています。それは、社会そのものだけでなく、新しいビジネスの背後にもあります。
お助けビジネスをやってもよし、今の自分のビジネスのそれを加えるのもよし、です。
わっと騒がれているものの背後あるいはその横に何があるかをじっくり見ることが、成功への第一歩です。