大人の責任

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復活ノート

「大人の責任」
会社の前は通学路になっていまして朝晩騒がしいです。
しかも、新学期です。新小学生、新中学生、新高校生も少し落ち着いてきましたが、先月までは、人の会社をのぞくわ、金網を傘でばんばんたたくわ、大声で騒ぐわということをしなければおさまらないようでした。体が自然に動くのでしょう。
たぶん、私も、60年前、50年前は同じようなことをしていたように思います。
毎年、春に草花や鳥が新しく生まれるように、人間も、春には心身が生まれ変わるのでしょうか。
どの子供たちも親から与えられた生命を全うできますようにと祈ります。
その思いは、どこの国の大人、特に施政者も持っているはずですが、自国の子供たちの未来を考えず、自らの満足のみを得るための言動が増えてきました。
それは単なる脅しであるかもしれませんが、子供たちがどう感じるか考えてもらいたいものです。
私たち大人は、そういう愚かな言動に迎合することなく、またうろたえることなく、自分の人生をしっかり送っていきましょう。
さて、私は70を前にして、人生をどう終わろうかと考える毎日です。4人子供がいますから、世間並、いや、それ以上の人生を送らせてやりたいと思って自分の事業に邁進しました。
50過ぎまでは順調に進んでいましたが、もっと手広くやりたいと考えたのが運の尽きで、あれよ、あれよという速さで転落していきました。
しかし、少しは運が残っていたのか、復活コンサルタントや介護コンサルタントの会社を始めることができました。
この間に童話を書くことがおもしろくなり、いくらでも短編、長編が頭に浮かんできます(すでに5、600は書いています)。
これで食べていくことはできないので、誰も住んでいない実家が田舎にあるので、そこで野菜作りをしながら、童話を書くのが夢です。
もし何か起きても、野菜などの食べ物を困っている人に提供できるし、子供には夢を与える童話を書き続けたいのです。
戦争だ、戦争だと騒ぐばかげた大人にもっと強く対抗したいですが、今の自分にはこんなことしかできません。
それでいいと思います。自分ができることを地に足をつけてやる。これで子供に安心を与えることができると思うのです。
子供にとって、大人がうろたえることほど不安を与えることはないのですから。