なんとなくイベント

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復活ノート

「なんとなくイベント」
昨日の朝日新聞の天声人語によると、「政治学者の丸山昌男は、戦後すぐに太平洋戦争が起きた原因を考察した結果、『なんとなく、ずるずる』と起きた」という結論に達したそうです。
つまり、有数の理論家である彼をしても、戦争を引きおこした責任者がかわからないのです。これは、日本の特徴で、まず「そういう空気」が生まれて、「なんとなく、ずるずる」と進んでしまうようです。
さらに、天声人語によれば、今回の東京オリオンピックのごたごたでもそれが生きていて、当事者たちも自分には責任はないと考えて(多分そう思っているのでしょう)、「誰が悪い」、「あれに任せていた」と責任逃れに終始してしまうのです。
もう少し具体的に言えば、「国立競技場の予算は何千億円でもかまわない」と発言した森喜朗は、単なる有識者会議のメンバーなのに(決定権はない)、それが「空気」になったようです。
つまり、日本の場合は、組織が前面に出るので(いや、個人が組織の陰に隠れるので)、誰が決めたかがわからないのかもしれません。
これでは、犯人捜しが徒労に終わるのは当然ですから、今後は、組織をどんどん作るようなことはやめたほうがいいかもしれません。
現状は、マスコミや世論がNOを突きつけると、仕方なしに見直すということをしていますが、しかし、じれったいですね(見つからなかったら、何も変わらないのですから)。
安保法案でも、自民党からは、誰一人反対であるという意思表示がありませんでしたが、これも変です(「自分の身が心配だけじゃん」と世間は言っているはずです)。
経済界でも、世界的企業が苦しんでいますが、東芝の不正経理やシャープの赤字決算、はたまた、VWの不正操作などの原因を探るのは、同じようにそう簡単ではないでしょう。
企業の場合は、誰に責任があるなどは後回しにして(明白なときは別ですが)、「法人の責任」が問われて、処罰されます。
とにかく、組織を減らすなり、責任を明確にするなりして、国家の経営を改革しなければ、また「ずるずる、なんとなく」社会の破たんを招いたり、戦争を引き起こしたりするかもしれません。
国際社会の最近のつばぜりあいを見ていますと、何か起きないか心配です(国家というものは、どこの市民にとっても信用ならないものになりさがっています)。
ただ、若い人から新しい動きが起きています。安保法案の反対運動でも、政治に関心がないと思われていた若者が運動をひっぱっていってくれました。その流れは今も続いていますから、「なんとなく、ずるずる」を止めるきっかけになるかもしれません。
また、中国でも、徹底した反日教育を受けてきたのにもかかわらず、まず「知日」をすべきだと考えている若者が増えてきたそうです。
市民、特に若者は世界を変える力を持っています。オリンピックなどの国の威信をかけた国際大会は山のようにありますが、市民が個人の意思で集まるスポーツ大会やその他のイベントはできないものでしょうか。
音楽、スポーツでも、少しおもしろければ、すぐに日本に入ってきます。
野外でのダンスミュージックや、マラソンというより、「着色された粉を浴びるかけっこ」などです。
これを専門的に考えるのです。「なんとなく、ずるずる」とやると、「なんとなく、ずるずる」と世界中から若者がやってきます。
しかし、企画はしっかり作って、世界に営業網がある企業にはスポンサーになってもらいます。
国家の「なんとなく、ずるずる」には、「なんとなく、ずるずる」で対抗しましょう。