革袋

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復活ノート

「革袋」
日本の国土は小さいですが、地殻変動のおかげで大陸から切り離されていることは地政学的に有利です(昔の「元寇の乱」を持ちだすまでもなく)。
今も、隣国との軋轢(あつれき)を考えると、小さいながらも島国でよかったと思います。また、自国の海を計算に入れれば、日本は世界で5番目とか6番目の不動産を持っているそうで、これ以上の幸福はありません。
それなのに、欧米の真似をした結果、あのような戦争をしてしまったのです。今後は「金持ち喧嘩せず」で、戦争などはしないことです。
戦争といえば、パリは、「戦争がはじまった」という雰囲気に包まれているそうです。
「シリアで行われてた戦争がヨーロッパに広がった」と言うのです。
世界中が当事者のようになりつつありますが、日本は、「金持ち」らしく「考え」を聞いてもらえるような存在をめざすべきです(極端なことを言えば、テロリストは、「テロと戦争との違いはない」と考えているでしょうから、「テロを許さない」だけでは通用しません)。
宗教というのが、状況をさらに複雑にしているます(どちらが悪いということはありませんから)。
これも、日本、日本人にとっては理解ができにくいものです。日本人が、「無宗教であることは大人の生き方」と考えるのは、宗教に近づくことは危険だということを教えこまれたからでしょうか。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言いますが、それが日本の宗教を物語っています。
ありがたい坊さんを憎いというのはからかいではなく、ほんとに憎い存在だったからです。
江戸時代から、民衆の監視に寺が使われたからです。本来の目的を忘れて堕落した坊主も多かったのでしょう。
これでは、誰も門を叩きません。ただ、葬式のときのみに使われるだけです(今も、「桜が咲いています。紫陽花がきれいです」と言っても、それを見に行くのが関の山です。
しかし、逆説のようですが、大勢の若い人が宗教に走ることがあります。邪(よこしま)な目的を持っている宗教ではそれを隠して、生き方を提示するからです。本来は、宗教とは、悩む心に何らかの答えを与えるものではないでしょうか。
現在は、経済格差や、それに伴う教育格差などがかつてなく大きくなっています。もちろん政治改革、経済改革が必要ですが、人を支えるためには、仏教などの宗教の出番です。
それについて具体的なことは言えませんが、ビジネスでも、廃れたというだけで、見向きもしないのはもったいないです。そのビジネスはどういう目的だったのかを考えてはどうでしょうか。
「新しい酒は新しい革袋に漏れ」という言葉があります。キリスト教にはうといので、調べてみましたら、新しい革袋とは新しい形式ということのようです(ユダヤ教からキリスト教に代わるということ)。それなら、ビジネスにおいての新しい革袋とはあなたのことです。