紙芝居

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復活ノート

「紙芝居」
この前、歯医者で長い間待たされました。同じように待っていた15、6人の老若男女のほとんどは、スマホを触っていました。なにげなく見ると、たいていゲームをしているようです。時間つぶしには困らないようです(私のように、なるべくわからないように、しかし、じろじろと人を見て時間をつぶす人間は無礼であり、かつ、時流に乗っていないということでしょう)。
今後、ゲームは次から次へと作られるでしょうし、覚えることも無限に出てきます。
とにかく、「消化」しなければという強迫観念に攻めたてられるのが現代人の運命です。
だから、「速読術」がブームになっているようで、小学生でも、本をばらばらとめくり、どんな内容か答える訓練をしている塾があります。
早送りのページ(自分がしているのですが)を目に焼きつけながら、どの言葉が何回出てくるか判断するそうです。それがキーワードで、それがわかれば、どんな本かわかるというのです。
理論書ならまだしも、「嫌い、嫌いは好きのうち」の小説などには不向きでしょうね。
そうは言っても、そういう訓練を受けていれば、そういう思考回路になリませんか(逆に、高齢者がパソコン、インターネットを使っているときに気を悪くするのは、「するの、しないの」と来るので、「こいつらは!」と思えるからです)。
いずれ、私たち、この世からいなくなりますが、社会そのものが、「するの、しないの」となっても、その時代の人間は気を悪くしたりしないのであれば、別にかまわないのですが、最近、人間関係をうまく結ぶことができない若者が増えているのは、「キーワード」の弊害が出てきているのではないかと思えてくるのです。
つまり、私たちは、エリート、非エリートなどという社会的キーワードだけでなく、気力あり、気力なしなどの個別キーワードで評価されます。
よほどの天才あるいは幸運の持ち主でなければ、自らそのキーワードをはがすことはできません。
人間関係に恵まれていれば、何回でも挫折を乗りこえられるかもしれないのにです。
人間性は、英語で、human natureといいますが、natureはどんなに時代が変わっても、人間に備わった普遍のものです。それを、守り、育てるのは人間でしかないと思うのです。私たち中小企業の経営者にできることは、ネット時代がくる前、そう、昭和時代の商売をするのです。もちろん、商売そのもの、あるいは進め方を手直しするのも大事です。
私なら、紙芝居をアレンジしてはじめます。内容も、勧善懲悪も捨てがたいですが、人間関係などを取りあげるのも役に立ちます。「君ならどうする?」と考えさせるのです。
それを、「おっちゃん」が生の声で言うのです。
これから、ビジネスはいくらでもできますよ。ネット社会で傷つく人間は増えますから。