かえりなんいざサービス

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復活ノート

「かえりなんいざサービス」
月数回は食べ歩きのために、大阪・神戸・京都に電車で行きます。車中から沿線の風景を見るとイオンの看板がよく目につきます。
昔のダイエーのように駅ごとにありそうです。私も老人の弁当を作る仕事もしていますので、イオンにはよく行きますが、肝心の食料品コーナーは閑散としています。特に魚はどうしようもありません(火曜日は、「火曜市」と銘打って客寄せしていますが、みんな飽きてきているようです。特に安いものはないからでしょう)。
その結果、食品事業は大赤字のようで、クレジット事業や葬儀業などに手を伸ばさざるをえないのです。
天下を取ったイオンがそうですから、地方のスーパーも四苦八苦しています。
私のいる地方都市でも、ニュータウンのブロックごとに、4、5件あります。
なぜそんなことになっているのでしょうか。住民がいる場所に進出しなければ生きのびていけないからです。
ところが、同じ市内でも少し山のほうに行くと事情は違ってきます。
まったく関係ない人がそこを通りすぎるとき、「自然がすばらしい。こんなところにすみたいものだ」と思っても、「でも、買い物は?」と考えてしまいます。
さらに、日本のどこにでもあるでしょうが、私の実家がある限界集落になると、さらに悲惨です。
以前あった食料品店がすべてなくなり、車で30分ほど行かなければ小さいスーパーすらないのです。
10年ほど前まで両親がそこで生きているときは、毎週段ボール一杯の食料を運んでいました(野菜は自宅の畑で作っていましたが)。
子供や孫と同居しているならまだしも、老人だけの場合はつらい状況です。
特に私のような人間が田舎にいると、近隣・親戚や行政の手助けがないと生きていけない現実に我慢ができないような気がします。
また、年を取って、生まれた田舎で住もうとして、大抵の場合は二の足を踏んでしまいます。それが日本を疲弊させてしまうスパイラルです。田舎は昔の田舎ならず、です。
そこをクリアすれば、田舎に人が戻ってきます。私も、田舎の家で野菜を作って、童話を書く生活をする夢が叶うかもしれません。
そのためには食べことです。毎日、近くの食堂に行くなどはまっぴらごめんです。
家で作りたいし、時には食べる楽しみを味わいたいものです。この両方を満足させるサービスがあれば、田舎も活気づきます。
まず都会以上に贅沢な食事ができる場所を提供します。料理だけでなく、音楽や絵などもほしいですね。移動式もいいですね。田舎の満ちたりた生活が始まります。