アイデア

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復活ノート

「アイデア」
私が、日本ではじめてベビーシッターサービスを考案・開業したのは、1974年(昭和49年)でした。
まだ社会人2年目でしたが、25才の若い父親でもありました。共働き(当時は「共稼ぎ」と言っていましたが)をしなければならない状況でしたので、窮余の思いから、このビジネスを思いつきました。
今も、保育園の不足から待機児童が増えているということが報道されています。
それなら、もう一度そのビジネスをやればという声があっても、当時は、経済成長の真っ只中で、毎月10万~30万と集金していましたが、現在とは状況がちがいます。
具体的に言えば、時給1000円近く払って利益が出るかということです。
しかも、子供は作らないと決めている夫婦や結婚をしないという若者が増えている社会です。
しかし、自分なりに、自分を取巻く閉塞状況を打ちやぶりたいと考えている若者もいるはずです。
つまり、私がそうであったように、何かビジネスを考えている人もいると思います。
しかしながら、社会経験が少ないために、アイデア倒れの考えもあるでしょう。
しかも、大人がそう思っても、私がそうであったように、当たってくだけろと、会社を辞め、親や国民生活公庫などから金を借りて、独立する人もいるでしょう。
しかし、私がそうであったように・・・。
私の場合は、途中で上記のビジネスを思いついたので、仕事を変えて、なんとか30年やることができましたが、大海に飛びこんだけど、すぐに引きかえしたり、息もたえだえに引きあげられる人もいるでしょう。
しかし、若い人の目は、年取った者には見えないものを見ることができます。
ひょっとして日本経済を救うビジネスが生まれるかもしれないのです。
そういう若い人をサポートするビジネスはどうでしょうか。
一番のポイントは、自分の考えたビジネスはまちがいなく成功するので、他人にはしゃべりたくないということです。そこをどうクリアするかです。
東京にいる長女からも、アイデアのメールが来ます。
「お父さん、東京の人間は、京都ブランドには弱いので、こっちで何か売ることできないやろか」
今はネットがあるので、簡単には行かないでしょう。
「お父さんも、鹿児島の醤油、愛知のお酢をネットで注文すると、二日ほどで来るで」
まずネットの弱点は何かを見つけることとアドバイスをしています。