必要は発明の母

   { }

復活ノート

「必要は発明の母」
「浪花のモーツアルト」のように「八尾のエジソン」などと言われる人がいます。
その発明品は、「探偵ナイトスクープ」などの娯楽番組で笑いものにされています。
「新作」はあまり知りませんが、「自転車を乗りながら米が研げる」というのがあったと記憶しています(そういう類の発明品です)。
最近のアシスト自転車は、下り坂や減速時に充電できるそうですが、もうすぐ平坦な道でも充電できるのも発売されるということです。
自転車をこぎながら米を研ぎたい人より充電したい人のほうが多いはずですから、各地のエジソンのほうが、「みんなのために」ではなく、「急いでご飯を炊きたい少数のために」知恵を絞っているということになります。
サッカー場の応援席で電気を作る実験が行われていますが(足踏みで電気を起こす)、これも、みんなのための発明と言えます。
IT業界も日進月歩です。今日(4月4日)は、アップル社が、「iPAD」という新しい携帯端末を発表しました。
これがあれば、日本お得意の多機能ケータイと紙の新聞は必要なくなります(電話だけできるケータイはいるでしょうが)。
さすがに「みんなのための」発明は、生活そのものを変えてしまうようです。
弁理士と話をしたことは言いましたが、「特許の世界は、はったりの世界です」というのが印象的でした。
「出願中」は、他人が作ってはいけないということではなく、「もし裁判になったら痛い目にあうよ」と脅しをかけているだけのようです(2年ほど特許庁の机の上に眠っていて、審査してほしければ20万か30万出せというシステムです。そして、特許が取れるのは5年かかります)。
また、「出願済み」というのは、申請しても特許は認められなかったということです(最近は、大企業でも更新しない特許が山のようにあると聞いています)。
それから、素人は、何か考えると、これが絶対だと思いがちですが、その奥やまわり、あるいは、発想を変えたところに、無数に同じ目的のものがあるというのです(もし特許を取っても、他人に、その横にあるもので別の特許を取られてしまうこともあります)。
そんなことで、貴重な時間とお金を使うよりも(更新料で多額の費用が要る)、誰からも侵害されないもので知恵を使ったほうがいいですね。
つまり経営や生活そのものです。生活は自分だけのことですからいいのですが、経営の場合は、あまり変えると社員が戸惑いますから、時間をかけて考えることです。
人間関係での「発明」ほどむずかしいものはありませんがとことん突きつめてください。
何事も動きだすとなかなか変えられないことは、私たち失敗した経営者ほどしている者はいないのですから。