
人を守れ
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復活ノート
「人を守れ」
去年の春ごろは、立ちくらみが続いて苦しい毎日でした。しかし、不思議なことにジョギングには支障がありませんでしたので、そのままほっておいたのですが、血圧の薬をもらうついでに、心電図を取ってもらうとひどい不整脈でした。
医者からは、不整脈、血栓、突然死というワードがちりばめられた説明を受けたからか、大げさでなく、しばらく「今晩が最後か」と思った日が続きました(従兄弟と叔母が突然死しましたし、田舎にいた頃、近所で親しくしていた兄弟二人が、二十歳前後で、しかも1年をおかず相次いで突然死したことがあったので、その恐怖を思いだしたのです)。
しかし、どういうわけか、半年ぐらいで不整脈は出なくなりました。
「自分はついている」と心から思っていますが、まわりには、がんになった人、筋肉が衰えていく病気の人、知的障害のある子供とその親などが数多くいますので、自分のことはさておき、役に立てることがあれば喜んでしようと思っています。
障害を抱えている人でも、自分なりに夢をもって生きています。健常者よりも活動的な人も知っています。本を書き、歌を出し、自分の生い立ちの映画さえ作っています。そういう人を見ると、人間は心の持ち方だと思わされます。
しかし、夢をもちながらも、火事や交通事故で命を失くす人がいます。子供、大人を問わず、そういう人のことをテレビや新聞で知ると気の毒でたまりません。
そこで、火事で死ぬことがないような装置はできないものかとお尋ねしたことがあります(自動車の場合は、メーカーが安全な自動車の開発にしのぎを削っていますので、無理な運転をしないかぎり、近いうちに交通事故死はなくなるかもしれません)。
ところが、最近、理不尽な事件が多発していますが、その種の事件は今後もなくなりそうにありません。社会の変化に伴って、人間も変ってきたからか、怨恨という感情につきうごかされる人間が増えてきたようです。
突然襲われたように見えても、相手は、ストーカーであれ、精神疾患者であれ、周到な準備をしていることがわかっています。しかも、警察などが何度警告しても、相手には通じません。
それなら、自分で自分を守らなければいけないのです。だからといって、一人では何もできません。
それを手助けするビジネスは有望です。家に誰かが侵入すれば、それを知らせ、撃退します。セコムなどでも、緊急警報を出しても、普通の泥棒とはちがいます。自分が捕まることは意に介していません。
プライドを傷つけられた、相手にも同じ苦しみを味わせてやるというのがストーカーの心理だそうですが、たかが失恋と思うのは昔のことで、今は報復しか頭にないのです。
長い年月がかかっても、相手があきらめるまで生きていかなければならないのです。
絶対に家に寄せつけないためのハードと、長い年月を守るためのソフトがいります。これで、多くの人が助かります。結局ストーカーのためにも役に立ちます。