博士サービス

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復活ノート

「博士サービス」
人は誰でも、60年間生きれば、博士号を取れる程度の知識は身につくという文章を読んだことがあります。
私もそうですが、団塊世代といわれる若者が、いよいよ還暦を迎える時代になったのですが、私自身は、その長い時間に、それにふさわしいものを身につけてきたのか振りかえると忸怩たるものがあります。
ところで、「団塊世代」という言葉は堺屋太一がなづけたということはよく知られていますが、先日の朝日新聞の「天声人語」が書いていましたように、一塊(ひとかたまり)の中には何百万人という個性があるわけです(もちろん、「団塊世代」以外の人も、全部そうですが)。
そして、個性は、生活や人生の源になるのですが、まず、何を学ぶかということを決める要因になるでしょう。
学生のときは、受験や資格のために、本当に学びたいことをわかっていた人は少ないでしょうし、わかっていても、時間がなくて今日に至ったという人もいるかもしれません。
しかしながら、多くの学者の生き方を知れば、学問は、机上でおぼえることは、表面的なことにすぎないと思います。多分、人生の長い時間が必要なのでしょう。
私たちには、人生の長い時間だけはありました(密度は薄かったでしょうが)。
後は、学ぶことだけなのです。学ぶことを楽しむだけであっても、まだかなり長い人生を
成功裡に終えるためにも、学ばなければならないのです。
そこで、「自分が教えられるものを登録し、また、誰かから教えてもらうビジネス」を作るのです。
何か勤労奉仕をして、その時間を返してもらうボランティアのようなものがありましたが、それを参考にしたらどうでしょう。
ギャラは発生しませんが、交通費のこともあるでしょうし、何より登録やポイントの管理、テーマの選定、どこでするかとか複雑な仕事があります。
しかも、このビジネスそのものは、そう利益になりませんが、それを核として、社会的なニーズが認められるにつれて、ビジネスがビジネスを生むようにもっていけます。
真珠は、まず核になるものが必要です(養殖は、核になる異物を人為的に入れます)。
それをまず作るのです。「2007年問題」は、退職金の手当てなどに使われますが、最近は、世界に誇るノウハウの損失のほうに意識が移っているように思えます。
人それぞれが長い人生をかけておぼえてきた知識を、社会資源として還元し享受するビジネスは、大きな将来性があります。