新しい宗教

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復活ノート

「新しい宗教」
夕べ、当社のスタッフが、一人の老人の最期を看取りました。
妻に先だたれて、子供もいないので、ユニットケアという施設に入ってもらい、定期的に訪れていました。
危篤になって、弟に連絡したのですが、「明日の朝連絡してほしい」とのことでした。
こういうことは多くて、葬儀も施設でやり、そのまま火葬場に直行するとのことです(最近は、家につれてかえらない家族も増えているそうです)。
土地がたくさんあって、この施設にも寄付したというのが自慢だったようなのに淋しいことです。
私の叔母のことはムーズなどでも書きましたが、夫や、子供二人も死んでしまい、「早く死にたい」というのが口癖でしたが、私が成年後見人になって、精神的にも落ちついてきたので一安心しているところです。
今親しくしているのは、80過ぎの奥さんですが、夫は認知症、子供は精神分裂症で、今後のことを考えると寝られないときがあるというので、話をすることが増えました。
ほんとに人生において苦しみは尽きないものです。
日本人は、無宗教というのが、一つの自立の証というようになっていますが、宗教は人生をサポートしてくれるものだと思います。逆に宗教があればこそ、充実した人生が送れるような気がします。そして、宗教は大きな「仕掛け」だと思います。
この世は、40何億年前のビッグバンからでき、人間の元はバクテリアだったことはまちがいありません。
この長い間の「酸素の発生」や「地殻変動」などの変化に順応しながら、今日があるのです(鯨などの哺乳類は、陸に上がったけれど、やはり海がいいと思いなおして、海に戻ったということです。そして、地球一の大型動物になりました。選択は正解だったということでしょう)。
人間を作った神など、この世に存在しないのです。強いて言えば、神とは「人間の意志」そのものではないでしょうか。
これ以上いうと、馬脚をあらわしますのでやめますが、立花隆が言う「サルとロボットの間」にいる現在の人間が生きるための宗教がいるのです。
挑戦的言うと、神がいない宗教です。神がいるから、神を利用する者が出てくるのです。
なお、新しい宗教を考えてくれる人は、中学のホームルームのように、これをせよ、あれをしてはいけないと気詰まりな規則は少なめにしてください。
人生は楽しいものと思いたいですから。